おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

西欧クラシック音楽はどうして西欧で生まれたか?(続き)

 

以下は、20210924にアメブロに書いた記事

 

先日の記事:

西欧クラシック音楽はどうして西欧で生まれたか?

 

の続き。

 

中央アジアやヨーロッパの伝統的な民族である、牧畜民族。

牧畜民族の日常は、家畜との同居である。

家畜とは、大型草食哺乳類(羊、牛、豚、山羊、馬)と、鶏・アヒルだ。

これに、羊の群れを制御する犬や、ネズミ対策に飼う猫が加わり、

雑多な哺乳類たちに囲まれて暮らす。

彼らにとって家畜などの哺乳類がいかに身近であるかは、

それらの名付け方を見れば明らかだ。

オス、メス、幼獣、成獣に、異なる呼び名を付けて区別する。

 

これに対して、日本では、

哺乳類の区別は、「お(雄)」や「め(雌)」や「こ(仔・子)」を付けて済ましてしまう。

雄牛、雌鶏(めんどり)、子羊、子猫といったふうに。

その代わりに、日本語の魚の呼び名は多様だ。

出世魚」のように、幼魚⇒若魚⇒成魚に、異なる呼び方を付けて区別する。

日本人にとっては、魚の方が伝統的に身近な存在だからだ。

 

雑多な哺乳類に囲まれて暮らす、

ヨーロッパの牧畜民族の日常は、

目の前の雑多な動物たちの鳴き声のカコフォニーが常に耳に入ってくる環境である。

この一日中ディソナントなカコフォニー環境が、ハーモニーとコードに対する耳の感度を刺激し、

ディソナントなテンション ⇒ コンソナントなリゾルーション のパターンで一件落着する

西欧音楽のケイデンスの原点が生まれたのではなかろうか。

朝から晩まで年がら年中、メーメーモーモーブーブーに囲まれていては、

テンション音の洪水が一瞬でもいいから整然としたハーモニーになって、ほっとしたい!

という気持ちにもなるだろう。

 

おお、そうだ!

動物たちの鳴き声のカコフォニーの典型が、

ブレーメンの音楽隊」ではないか!

この話のハイライトは、

ロバ・犬・猫・鶏がいっせいに大声で鳴いて、人間たちを驚かせて退散させるくだりだ。

まさに、動物の鳴き声のカコフォニーではないか!

 

 

かたや日本には、

牧畜民族のように草食哺乳類の群れと暮らす伝統は、無い。

太古の昔にはあったかもしれないが、

メインストリームの伝統は、稲(西日本)や麦(東日本)などの農耕と、漁業だ。

山岳部の狩猟は、牧畜ではない。

家畜の群れと身近に暮らす伝統がなかった日本人の耳には、

稲や麦が風にざわざわ揺れる音や、虫の音、

波の音や海鳴り、

遠くの山から小鳥のさえずりや獣の遠吠えが聞こえていた。

家の中や周りにいる動物の数は、たかが知れている。

鶏、ネズミ、猫、犬、使役用の牛馬が1頭2頭いるぐらいだ。

身近に動物が少ないかわりに、

戸外から、田んぼや畑からカエルや虫の鳴き声が、里山から鳥や獣の鳴き声が聞こえてきた。

だから、日本人にとって、自然とは、

花鳥風月なのだ。

そこには、ほ乳類の群れは、存在しない。

メーメーモーモーブーブーのカコフォニーは、存在しない。

 

これに対して、牧畜民族の西洋人の耳には、

遠くから聞こえてくる花鳥風月の音どころではなかっただろう。 聞こえてきても、

目の前の家畜の群れのカコフォニーに吹き飛ばされてしまっただろう。

目の前の哺乳動物の集団のカコフォニー⇒ハーモナイズされたケイデンスで解決して落ち着きたい強い欲求を繰り返し表現しているのが、

オーケストラの音楽である、と私は考える。

 

人間の生業や、それによって作られる風土文化は、

当然、その土地の人々の音楽に影響する。

バリ島のガムラン音楽が、あのような音楽なのは、

棚田の水田から聞こえるカエルの大合唱が、

その原点ではなかろうか。

日本と違って、

一年中気候が温暖な東南アジアでは、コメを1年に3度も4度も収穫できる。

バリ島の棚田には、一年中カエルの合唱が聞こえていたのだろう。

 

日本の伝統音楽も、当然、

日本の風土の影響を受けている。

冬に雪が降り積もる地域では、

冬は、死を意味した。

多くの動物や虫が、冬を越せずに死んでいく。

生き物たちは、春を待ち望みながら冬を生き延びようとする。

冬眠してじっと動かずに体力の消耗を最小限して生き延びようとする動物もいる。

雪が積もると、世界は静かになる。

雪の遮音性が理由だろう。 

雪は、保温にもなる。 気温が氷点下になっても、雪の下は零度以下にはならない。

雪は、冷たくもあり、暖かくもある。

命を脅かす存在でもあり、命を守る存在でもある。

雪には、死の季節である冬と、遮音・保温の守りの両面がある。

歌舞伎における、雪が降る様子を表現する音楽が、興味深い。

しんしんと降る雪の夜、

主君の無念を晴らすべく、悲願の仇討ちに向かう四十七士たち。

彼らの足音は雪に吸収され、静謐無音の闇のなか、仇の館を目指す。

晴れて仇討ちの暁には主君の待つ十万億土へ旅立つ覚悟を決めて出陣する彼らの心の奥底に厳かに響く、本来であればもっと生きたい!と強く望む、生と死に直面する人間の命の鼓動のようにも聞こえる。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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