ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ギターの地位の変遷(続き)

 

以下は、20220302にアメブロに書いた記事:

 

前回の記事では、

本題の入り口にすら入らずに力尽きてしまった。

 

以下の内容は、

私は、私が物心ついた時からの日本国内の事情しか知らないので、

私が半世紀以上日本で生まれ育って生きてきた個人的な経験に基づいて話を展開する:

 

日本において、

ギターの地位のイメージはピアノのそれよりも低い

という印象は否めない。

 (↑世界でみてもそうだと思う) 

 

これは、

かつての旧ブログ(@はてなブログ)にも書いたが、

欧米の産業革命の象徴のような楽器である近代ピアノが、

幕末~明治維新期の日本に、

大きな衝撃をもって入ってきたからであろうと、私は思う。

近代ピアノは、さながら

「楽器の黒船」だったであろう。

 

現在、私たちが目にしたり弾いたりする

アコースティックピアノは、

ヨーロッパにおける産業革命の申し子である、

音楽史上初めて登場した楽器の工業製品であった。

鉄をふんだんに使ったフレームを工場で製造して、

金属製の弦を巨大な張力で張って維持する、という仕事は、

人力だけではとてもできない。

つまり、

アコースティックピアノは、

楽器における蒸気船や蒸気機関車なのである。

 

これに対して、ギターはどうか?

ギターは、アコースティックピアノが製造されるよりはるか昔から

ギターに類する楽器が世界中で手工業で作られてきて、

地球の各地の人々の身近な音曲の中心になってきた。

日本には、ギターに似た楽器として、三味線がある。

だから、幕末~ご一新のころのご先祖様たちは、

西洋からギターが入ってきても、あまり驚かなかったことだろう。

 

一方、

ピアノみたいな重工業的な楽器は、江戸時代の日本には無かった。 だから、

渋沢栄一さんとその仲間たちのような人たちにとって、

ヨーロッパのピアノは、

「日本が見習い追いつくべき、

 工業先進地域ヨーロッパ!!! へへぇ~~(土下座土下座!)」

を象徴する楽器だったに違いない。

もちろん、

そのようなピアノを西洋から日本に輸入するには多額の費用が必要で、

だからこそ、

ごくごく限られた、社会階層のトップ中のトップのお屋敷の応接間に、

その家の主の、西洋化&経済的な成功を象徴するかの如く

うやうやしく置かれて、

その家の御子息ご令嬢たちといった

特権階級の子女たちしか弾くことができなかったはずだ。 これが、

今なお私たち庶民階級の無意識のサイキに地縛霊のように憑りついている

ピアノのイメージであろう。

 

それが、第二次大戦後、階級制度が崩壊して、

日本国民の大多数が貧しくなってから、

アメリカさんの前ではペコペコヘラヘラしながら、

実際のところは、傷つけられた日本人のプライドを心の奥底で密かに猛烈に燃焼させながら、

敗戦の焼け跡のバラック街から(いろいろな地政学的な後押しもあって)

奇跡の急成長をとげて、戦後の政府の「産めよ増えよ」の大号令に乗って

一気に大増殖した、日本の中流階級

昭和の高度成長期、人口分布的に「青年の国」であった日本各地の

下町や山の手住宅地や団地群や新興住宅地に

子どもたちが弾くつたないピアノの音が聞こえていた。

ピアノは、一億総中流階級の、憧れだった。

 

ちなみに、

中流階級」とは、「もとはといえば労働者階級」のことである。

実は、ヨーロッパもそうだった。

国王と王妃の首をちょん切って革命を成し遂げた庶民たちは、

他の地域を植民地化して、奴隷制度という不平等な経済力学をテコに

植民地から不当に富を吸い上げ、成金ブルジョア中流階級ができあがる。

中流階級の夢は、かつて彼らが首をちょんぎった

王侯貴族たちのお道楽を、マネることであった。

かくして、中流の家庭は、

産業革命による最先端の工業テクノロジーによって

ハープシコードから大化けした

当時最先端の超イケてる楽器であるアコースティックピアノを求め、

それに応えるように、

ピアノメーカーがタケノコのように乱立し、

ルノワールの絵画に描かれたピアノを弾く中流のお嬢さん方が大増殖した。

(下手っぴな素人である)彼女たちでも弾けるようにと、作られたのが

ブルグミュラーなどの、「素人(カタギ)のお稽古事」需要を満足させるべく玄人音楽家(芸人)が作ったピアノ曲である。

ツェルニーやハノンなどの機械的な練習曲も、そうであろう。

ボリューム消費ゾーンである中流階級向けのコンテンツは儲かるからと、

彼らに教える「ピアノ教師」が増殖し、また、音楽家たちも、

彼らのお稽古事で使いやすい練習曲のような教材を作曲して売るようになったのだろう。

中流階級」という名のボリューム消費ゾーンとは、

楽家(作曲家)に限らず金儲けをしたい連中からすれば、

薄利多売を実現すれば大金脈なのであり、

音楽業界のみならずあらゆる業界から、その富を狙われる、いわば、

人間の経済社会において搾取の対象となる

イワシの群れなのである。

イワシの群れは、マグロやサメといった、

魚のフードピラミッドの頂点に君臨し自分たちを捕食搾取する

上流階級に対して、飽くなき憧れを持っているようである。

だから、イワシの群れは、

マグロやサメが欲しいままにしていたものを

いつまでたっても羨(うらや)んで、欲しがり続けるようである。

そのひとつが、クルーズ船旅行であると、私は思う。

欧米のクルーズ船レジャー産業は、そういった、

欧米のイワシの群れが抱いている上流階級への憧れにつけこんで、

彼らが日々労働して蓄えたささやかな富を捕食搾取するために作られた

「社会的な富の再分配の仕掛け」のひとつであるように、

私には思えてならない。

だから、私は、

日本でクルーズ船レジャーが宣伝され始めたころ、

「そうら来た!」と思った。

私は、クルーズ船旅行にお金を喜捨するつもりも、ない。 

もともと西洋のイワシの群れから富をむしり取る仕掛けに

日本人がわざわざカモられる必要はない、と思うからである。

どうせ、外資の業者が多いんだろうし。

であれば、

日本において、カタギの一般社会からケツをまくって、ささやかに頑張っている

実力が伴った日本人ミュージシャンたちのオンラインライブにお金を払った方が

はるかに、生き金になるというものだ。 だって、

私のような者のささやかな数千円であっても、日本の国富には違いないからである。

国内相手に消費すれば、

日本の国富が日本国内で循環することができて、海外へ失われることが無いからだ。

 

今回も、ギターの本題に全く入らないうちに力尽きてしまった。

次回こそは、本題にはいりたいものだが...。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむ風流への道を歩くピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

ギターの地位の変遷(続き) | おんがくの細道

 

 

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。