おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

3月と日本人

 

以下は、20220325にアメブロに書いた記事:

 

日本人にとって、死者の月といえば、8月だ。

お盆に加えて、

広島・長崎への原爆投下と終戦(敗戦)記念日、そして

日航機の御巣鷹山墜落事故と、

8月には、死者たちを悼む出来事が集中する。

 

そして、

3月も、日本にとっては、

使者たちを悼む月である。

3月の出来事としては、

地下鉄サリン事件東日本大震災

もうひとつ、忘れてならないのは、

東京大空襲だ。

 

東京大空襲

3月の空襲では死者10万人といわれているが、

そんな数が全くアテにならないことを、私は祖父から聞いて知っている。

アメリカ軍の空爆によって焼死した人たちの死体は、

あまりにも高温で焼かれたために、 さしずめ

灰の粉が人間の形になったもの、というありさまだったそうだ。 だから、

スコップでトラックの荷台に積みそこねて地面に落としてしまうと、

たちどころにくずれて、灰の粉になってしまったそうだ。

死体としてカウントされずに、灰の粉になって風の中に散っていった方々の数を

知ることは、もはや、できない。

灰の粉になって死者にカウントされないよりもマシだったかもしれないのは、

防空壕の中に避難したものの空襲による火災の高温の中で

蒸し焼きにされて人間シューマイになった人たちだろうか。

 (↑毒蝮三太夫さんの話で知った)

いずれにしても、

今から100年足らずの昭和のころに、

アメリカ軍によって虫けらのように殺戮された日本の民間人がたくさんいたのだ。

東京の郊外では、空からアメリカ軍の爆撃機で狙い撃ちされた人たちがたくさんいた。

私の祖母も、知人のおばあさんも、空からの狙撃の弾が外れたので生き残った。

東京の土には、空襲の炎のなか生きながらにしてバーベキューになった

無数の人たちから溶け出した脂が、染み込んでいる。

全国/全世界から観光客がやってくる、あるオシャレな街の一角には、

いまだにその時の人間の脂がアスファルトの地表にしみ出している場所があると聞いた。

子どもの頃に東京大空襲にあった人から、

壁に染み込んで、上から何度ペンキを塗っても表面にしみ出して現れ続ける

人間の脂の話を聞いた。  

どれほどたくさんの人が、その壁のところで生きながらに焼かれたのか。

戦争は、終わっていない。

東京だけではない。

日本全国、至るところで、都市がアメリカ軍の空襲を受け、

沢山の人たちが焼け死んだ。

その土地の土には、焼死した人たちの脂が染み込んでいる。

○○国では民間人が空爆で○○人死んだ、なんていう

「公式」の発表は、信頼するに値するデータなのか?

そして、どの国にとっても、自分の国は正しいのだ。

○○はかわいそう、□□は悪者だ!という見方は、

個人個人の立ち位置からの眺めで、まったく違うものになる。

日本人は、それを

いやというほど、胸クソ悪くて吐き気がするほど、知っている。

「喧嘩両成敗」の伝統が有る国だからだ。

それから、人種に対するイメージには、

悪寒がするほどイヤラシイ側面がある。

当時、今のようなインターネットや動画配信やSNSが有ったら、

第二次大戦中のアメリカ国内の日本移民は、

牛舎牛舎をそのままあてがわれた日本人キャンプに収容されるような、

家畜のような扱いを受けることはなかっただろうか?

20世紀後半以降の中東の戦争で、上野公園は、一時期

イラン人で溢れかえっていたことがある。

その時に、今のようなネット世界があったとしたら、

中東の人たちへのまなざしは、全然違うものになっていただろうか?

肌の色や文化圏による「不都合な真実」もあるだろう。

私は、欧米に住んでいた時に

偏見の眼で見られたり、有色人種だけで隔離されたり、

小石を投げられたり、

通りを歩いているだけで「F**king ホンコンガール!」と現地人からヤジられたこともあったが、

私は、日本人に生まれてきてよかった!と、心の底から思っている。

日本人は、世界の中で、幸せな人たちの部類に入ると、私は確信している。

だから、

「△△国の人たちは、先進国でもないのに自分たちを世界一幸せな国民だと思っているそうだ。 それなのに、我々日本人は、先進国になったのに、世界一不幸ではないか!(恥恥恥恥恥!)」

と思っているのは、たぶん、日本人だけだ。

多くの国の人たちは、日本人をうらやましく思っているだろう。 世界は欧米諸国だけではない。

それに、

よっぽど平和で満ち足りていないと、「自分は不幸だ!」なんて思えるような心の余裕なんて、持てない。

「世界一幸せな国」と評判の国は、自らをそのようにブランディングして世界に知っておいてもらわなければ、いつ何時、世界がまったく知らないうちに、隣の大国に併合されてしまうとも限らないから、どんな形であっても自国の存在を世界にアピールしておく、差し迫った必要があって、そのように自国をPRしているのかもしれない。 彼らの国の存亡をかけたPR戦略を真に受けて「世界一幸せな国に行って、幸せな現地の人たちと触れ合いながら自分探し」みたいな人は、彼らにとっては格好の「人間の盾」なのかもしれない。「あの先進国は、自国民を決して見殺しにしないから」と、有事にあたって利用されることもあるかもしれない。

世界は、思いやりがあって気の良い人間的な余裕がある人ばかりがいる場所では、ない。

世界には、コスッカライ人たちが、たくさんいる。 だから、

楽器ケースで引田天功みたいな脱出劇をして、「日本(人)はチョロいよ」と自慢する輩もいるわけだ。

「日本人は外国語が苦手だから、外国語を学んで、世界の人たちと仲良くなりたい」?

ちがうと思う。

「英語が下手ですって? だって、

あなたの国では、英語をしゃべる必要がなかったんでしょ?

これは、私が、英語圏の植民地だった国出身の人から言われた言葉だ。

彼女の言葉の意味は、こうだ:

「私が英語をペラペラ話せるのは、私の国が英語圏の国の植民地だったからよ。

私の国の言葉は、植民地の現地人たちの下等な言葉とさげすまれて、子どもたちはみな、宗主国の言葉(英語)で教育を受けることを余儀なくされたから、英語が話せるわけよ。

 あなたの国は、どの国の植民地にもならなかったから、あなたは、大手を振ってあなたの国の言葉で教育を受け、あなたの国の言葉が公用語だから、宗主国の言葉を話す必要がなかったんでしょ。

それは、彼女からすれば、とてもうらやましいことなのだ。

外国語を学ぶのは、外国語しか許されない場所で、

自分の権利を主張し、自分の存在の安全を確保し、働いてお金を稼ぐためだ。

その国(宗主国)の言葉ができなければ、

その国(植民地)では赤ん坊(原住民)と同じ、無力な存在だからだ。

なんでもかんでも英語を併記して、

場所によっては他の国の言葉も表示するということは、

対外的には、

「この国は、これらの国々の植民地です」

と、自ら喜んで実効支配されていることを意味する。

海外からのお客様のことを思っての「おもてなし」です、なんて、誰も思わない。

世界の多くの人たちは、日本人と同レベルの空気を読む能力は、持ちあわせていない。

それから、

「「日本は良い国、日本人は良い人たち」って外国人に褒められた」って喜ぶ人がいるかもしれないが、 じつは、それは、

外国人からナメられているのかもしれない。

外国人からの本当の意味での賛辞の言葉は、

「あのイマイマしい日本野郎が!」かもしれない。

先方から嫌われるのは、

無視できないほどの強力な存在感を、こちらが放っているからだ。

1980年代、日本は欧米から嫌われていた。

日本は、欧米にとって脅威だったから、嫌われていたのだ。

当時の日本は、とても大きな存在だった。

「憎まれっ子、世にはばかる」だったのだ。

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。