以下は、20210914にアメブロに書いた記事:
こんな記事があった:
かねてからずっと思っていたことをここらへんでいったんまとめておく:
据え置き型のコード楽器の代表が、ケンバン楽器(ピアノなど)。
ポータブル型のコード楽器の代表が、ギター。
ケンバン楽器の強みは、なんといっても、両手で音を奏でられることだ。
両手ということは、左手で伴奏、右手でメロディーを弾けるということだ。
もっと言うならば、
左手でベース音、右手でメロディー、両手を使ってインナーヴォイスのコンピングが可能であり、
音楽の最低限の要素を一人でまかなえる。
電子オルガンになると、
ベースラインを足のペダル鍵盤にアウトソースできるので、
左手の負担が軽くなると同時に、
右手と左手の音の種類を変えることができ、 さらに、
ドラムの機能もあるため、
ピアノよりもはるかに本格的な音楽を演奏できる。
世界には、パイプオルガンのように鍵盤が4段ついている電子オルガンもあって、
ペダル鍵盤が2オクターヴ以上あり、曲の段取りのプログラミングもできて、
たった一人でオーケストラに匹敵する演奏も可能だ。
ところが、
ピアノやオルガンといったケンバン楽器のいちばんのネックは、
据え置き型であることだ。
楽器自体が大きくて重いので、演奏するためには
演奏者が、楽器のところへ、はせ参じなければならない。
まるで、演奏者が楽器の下僕(しもべ)のようである。
これに対して、ギターは、
ケンバン楽器よりも一度に鳴らせる音は少ないけれど、
なんといっても、
演奏者がどこへでも持っていけるという、
ポータビリティが有る。
つまり、演奏者が行くところはどこでもライブのステージになり、
音楽が奏でられ、人々に楽しみをもたらす。
キャンプファイヤーなどのアウトドアシーンで、
ギタリストが一人いれば、たちどころに歌声が響き、楽しいひとときが生まれる。
そんなとき、家のグランドピアノでどんなにリストをバラバラ弾けても、どんなに即興で歌の伴奏が出来ても、
ピアニストは、無力で役立たずの木偶の棒(でくのぼう)である。
この、
演奏者が楽器がある所へはせ参じなければならないか、 それとも、
演奏者が楽器を自分の好きなところへ持ち歩けるか、 が、
ピアニストとギタリストの音楽に対するアティチュードに深い影響を与えていると、私は思っている。
つまり、
ピアニストのほうが、楽器や音楽に対して受動的な傾向が有り、
ギタリストのほうが、「楽器や音楽を支配するのは演奏者だ」という能動的なメンタリティーを持っている。 そんな気がする。
また、ギターという楽器は、楽器として最も根源的な形式の楽器だ。
あるプロのギタリストさんの動画を見て、そう思った。
音楽の大元(おおもと)であるアクースティックスの基本を、いやでも体感できるのが、ギターなどの弦楽器だ。
これに対して、ケンバン楽器では、アクースティックスの基本を体感することがとても難しい。
電気的にアクースティックスに取り組むシンセは別として、 この、
音楽の大元(おおもと)中の大元を体感できないことが、
ケンバン楽器を弾く人のハンデではなかろうか。
ピアノ愛好家は、とかくギターを見下しがちだ。
理由は、おそらく、
ギターは片手分の音しか鳴らせない、とか、
ギターは小さい、とか
ギターは構造が単純だ、とか、
ギターは大きな音を鳴らせない
といった、子どもじみたような理由からだろう。
ところが、ケンバン楽器のほうが、ギターよりも単純な面がたくさんある。
たとえば、
ケンバン楽器は、音の配列が単純に一直線。
ケンバン楽器は、チューニングを他人に丸投げ。(←アコースティックピアノの場合)
ケンバン楽器は、音楽の大元(おおもと)のアクースティックスが文字どおりブラックボックス化しているので、演奏者がそれについて無知蒙昧でも演奏OK!
ギターが優れている点は、ポータビリティだけではない。
ギターは、半音ずらし連続弾きのような幽玄微妙なコード進行を、
ケンバン楽器よりも手軽に演奏できる仕組みになっている。
だからなのか、
ギターの理論書はピアノの理論書よりも複雑な内容になっているような印象がある。
一流のプロのピアニスト/キーボーディストの中には、ギターも弾ける人が何人もいる。
私が「この人はスゴイ!」と思うプロのピアニスト/キーボーディストで、ギターも弾ける人が少なくとも3人いる。
そのうちの一人は、ギター以外にベースやその他のギター的な楽器も弾いてしまう。
ギターの演奏のノウハウが、ケンバン演奏のための大きなベネフィットになっているという印象がある。
ところで、このような、音楽業界の第一線で活躍する
一流のプロのピアニスト/キーボーディストは、ひとにぎりの例外を除いて、ほぼ男性である。
男性だから、ケンバン奏者なのにギターも弾けてしまうのか?
これには、女・子どものピアノのお稽古の世界からは想像できない事情があるのではなかろうか。
ひと昔前までは、「ピアノは女子がやるもの」というイメージがあった。
だから、男子にとっては、「ピアノだけ」というのは、いささか女子っぽいからカッコ悪いということがあったのではないか?
ギター、とくにエレキギターは、男子が弾くにはカッコいいイメージがある。
電子キーボードが全く普及していなかった時代、
初めてのギターは、親に大金を使わせて買ってもらわなくても、
お年玉を貯めれば自分で買える値段だったし、
なにもギターのお教室に通わなくたって、
クラスの仲間と放課後に教え合ってかき鳴らしているうちに、弾けるようになっていく。
ギター雑誌を買って首っ引きで自分の部屋のベッドの上でも近所の土手に座っても、
いつでもどこでも練習していれば、どんどん弾けるようになる。
そして、学園祭でバンドを組もうものなら、
ギターはステージの花形だ。 つまり、
女子にモテる。
さらに、ギターを弾きながらボーカルもやれば、
完璧にスターだ。
ということもあって、
ケンバン男子でもギターを弾ける人たちが少なからずいるのではなかろうか。
もうひとつ。
ピアノだけ男子には、とかく
ママゴンの影がちらつくイメージが、なくもない。
同年代の女子が生理的に最も嫌う存在の、影である。
プロになった場合に、自分の専門の楽器以外の楽器についての実地の経験があるほうが、バンドの演奏で有利なことは、容易に想像がつく。
ケンバンだけの場合は、あらゆる種類のケンバン楽器に精通している人が、第一線で活躍している。
アコースティックピアノだけの人は、よほどニッチな分野で存在を確立しない限りは、活躍できる分野が限られてしまうようである。
tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト
もとの記事@アメブロ:
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
tokyotoad