以下は、20220330にアメブロに書いた記事:
こんな記事があったよ
よかったね!
京急のドレミファインバーターの音が自販機に残るんだね!
私も、京急に乗った時に、何度か聞いたことがある。
はじめて聞いた時は、ビックリしたよ!
乗車して、車両のドアが閉まって、電車が走りだしたら、
車両の床下から、
メロウでジャジーなサックスの音が鳴り出したからさ!
ビックリ&大ウケして、車内で必死に笑いをかみ殺した。
さすが首都圏私鉄の王者、京急!と思ったよ。
しばらく前に、この
SIEMENS社製の通称「ドレミファインバーター」を搭載した車両が
京急から姿を消すという記事を見たときは、
なんともさみしい気持ちがしたものだ。
発車時に「ドレミファインバーター」が発する
哀愁漂うサックスのような音が、
東京湾岸の京浜工業地域にいながらにして、
NYマンハッタン地区にいるような気分にさせる、
都会的なヤサグレ感のある哀愁が心に湧いてくるのだ。
この、都会的なヤサグレ感は、
京浜工業地帯を走る京急沿線にも、
そこはかとなく漂っている雰囲気だ。
だが、私は、個人的には、
「ここ「山の手」って呼ばないでしょっ!」みたいな、
昔は狐と狸しか住んでいなかったような場所を開発して
「ザ~マス」系のマダムたちが木で鼻をくくったように住んでいる
今風に言えば「セレブ系(笑)」の地域よりも、
江戸時代から沿道が最も栄えた東海道に沿って
京浜急行が走っている地域の方が、
ずーっと前から拓(ひら)けていたんだぞっ!と思っている。
古くから拓けた、昔からの都会には
歴史を通していろんな人たちが集まってきた結果として、
都会的なヤサグレた雰囲気があるものだ。 もっとも、
NYマンハッタンの地下鉄や地上の街並みのヤサグレ感に比べたら、
京急の客層や沿線環境なんて上品過ぎて山の手だよ!
川崎大師様あたりの住宅街なんて本当によい雰囲気だ。
ゴミも落ちてないし、変にスカした空気もないし、
自然体で、しかもきちんと地域の住環境を守っている、
地元の人たちの民度の高さがうかがえる地域だ。
インバウンド全盛の頃に海外からの観光客が押し寄せて
阿鼻叫喚の様相を呈していた
都内で最も有名な「観光地」からちょっと入った所の
地元の人たちが代々住んでいる静かなエリアに似た
肩ひじ張らない+折り目正しい良い雰囲気が有るよ。
話をもどして、
京急のドレミファインバーター搭載車両から
発車時に聞こえるメロディと(いうか音階)が、どうして、私には
哀愁漂うジャズのサックスの響きに聞こえたのだろうか?
これについて、
ドレミファインバーター搭載車両引退への惜別の念に満ち溢れた、
鉄道ファンの方々による動画を視聴した結果、
なるほど、
哀愁漂うジャズのサックスのように聞こえる理由があるなぁと思った次第なので以下に記したい:
まず第一に、
ドレミファインバーター搭載車両が、駅から発車する際に、
メロディ(音階)が鳴り響く、その音が、
ホーンのような音なので、
サックスっぽく聞こえるのだ。
サックスといえば、ジャズである。
(サックスは、開発者が当初売り込んだ
フランスのオーケストラ界に採用を拒絶されたが、
(売り込み方がマズかった) その後、
アメリカでビッグバンドに好まれて使われるようになった、
という動画を視たことがある。)
そして、
運転士さんも人間だから、
列車が発車してからの加速スピードに
微妙にムラができるので、メロディが、
とまどったような、ゆらぎのある、人間臭い、
哀愁のある鳴りになってしまうのだ。
そして、なんといっても、
ドレミファインバーターが発するメロディが
エオリアンモードに聞こえてしまうことが、
哀愁を感じさせる最大の理由であろう。
ドレミファインバーターが発するメロディはEbから始まるので、
聴き始めはEbがトニックのリディアン音階に聞こえるが、
メロディの最後が10th上のGの音で終わる。 つまり、
Eb F G A Bb C D Eb F G~~
と鳴るのだ。
メロディの最後のG音が長く鳴り響くので、
Ebリディアンというより、
GトニックのGエオリアンの印象が、なんとなく、
聞いた人の頭に残ってしまうのである。
しかも、動画によると、
発車する時の何かの具合なのか、
最初のEbとFがほとんど鳴らずに、
Eb F G A Bb C D Eb F G~~ と、
Gから音階が始まってしまう場合が、往々にしてあるようだ。
こうなると、もはや、
Gエオリアンにしか聞こえない。
更にダメを押してしまう現象が有る。 それは、
列車がホームに入ってきて減速停止する際に
Gの音がキーーーーっと鳴り響くことだ。
これによって、
ホームや車内の乗客たちの頭の中に、
Gの音があたかもトーナルセンターであるように事前に刷り込まれてしまい、
その刷り込み状態の中、
列車が発車するときに、何かの拍子で
ドレミファインバーターの音階が
Gから始まって聞こえてしまうと、
もはや、Ebリディアンでも、Bbアイオニアンでもない、
Gエオリアン、つまり
Gナチュラルマイナーに聞こえてしまうのだ。
ナチュラルマイナーだから、当然
明るい感じ(メイジャー)には聞こえないわけで、
もの悲しい哀愁漂うメロディに聞こえてしまうわけだ。
つまり、
① 音がサックスの音に似ている
② 「G=トニック」の事前刷り込み
③ Gナチュラルマイナーを含むメロディ(というか音階)
④ Gナチュラルマイナーのスケールしか聞こえない時がある
⑤ 京急沿線の雰囲気がジャズの本場NYマンハッタンに通じる
という要素によって、私の耳には、
哀愁漂うジャズのサックスっぽく聞こえたのだ、
と、私は思った。
ちなみに、クラシックピアノ演奏の愛好者は、上記の記事にあるようなモードについて知る必要は、全く無い。 モードを知っていても、クラシックピアノ曲の演奏が上達することは一切無いからだ。 黄色い楽典の本に載っている教会旋法をいくら義務のように覚えようとしても、ぜんぜんピンとこないしいつまでたっても覚えられないのは、クラシックピアノの演奏技術の向上にモードの知識がこれっぽっちも関係ないからだ。 モードを覚えようとするヒマがあるんだったら、少しでも楽譜に忠実に間違えずに弾けるように苦手なパッセージを反復練習するほうが、先生に注意されたり審査員に減点されることが減るから、遥かに有益だ。 一方、ジャズの演奏の愛好者は、モードを単に知っているだけでは全然足りず、実際にモードを自家薬籠中の物にして自由に使いこなせるようになる必要が有る。 ポップスやロックの演奏愛好者も、モードを使いこなせれば、よりプロ志向のアドリブ演奏が可能になる。 楽譜どおりに弾く「ポピュラーピアノ」については、クラシック同様、楽譜どおりに弾ければよいので、モードを知る必要は、一切無い。 即興演奏・作曲・編曲といった創作活動を行わないのであれば、モードを使いこなす必要も無ければ、知っている必要すら無い。
って書いとかないと、万が一この記事を読んだ質の悪いピアノ教師が安易に影響されて思いついたように「教会旋法を覚えましょう!」なんて、歳(とし)はも行かぬイタイケな子どもたちに無理やり教え込もうとするような、子どもたちにとって悲劇以外の何ものでもない無意味なシゴキの原因にこの記事がなってしまうと子どもたちが気の毒だから、念のために書いておくよ。 ぶっちゃけ、教会旋法なんて全然知らずにショパンやリストをバラバラ弾いている愛好家がほとんどだし、クラシックピアノの演奏だけのプロ(=楽譜どおりに弾くだけで即興演奏も作曲も編曲もしない/できない人)が持っている教会旋法の知識ですら、良くても黄色い楽典の本に書いてある程度だ。
もちろん、「ジャズピアノを教えます!」と謳うピアノなりオルガンなりの先生は、当然ながら、モードを自由自在に使いこなして即興演奏ができるはずだし、「ジャズピアノも教えます!」と謳うピアノなりオルガンなりの先生だって、モードを変幻自在に使いこなして即興演奏できるはずだ、じゃなければ、ジャズを教える教師として詐欺だよ。
tokyotoad=おんがくを楽しむ風流への道を歩くピアニスト
もとの記事@アメブロ:
京浜急行のドレミファインバーターの音がジャズっぽく聞こえた理由 | おんがくの細道
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。