ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

大人の「ピアノ買い」で絶対に外せない最重要項目

 

前回までは、庶民の私が想像できる限り想像してみた、

大人のピアノ愛好者がやってみたい、

ピアノの「大人買いを、

それに投じる金額をベースに、

江戸時代に流行った、全国の温泉地や名山の番付に倣ってランキングしてみたよ。 

そしたら、

ピアノの「大人買い」のスケールが天文学的に異次元過ぎてランキング不可能な存在から、いちばんお金を使わない節約レベルまで、壮大な番付になったね! 

当然ながら、あくまでも、ピアノの購入に関連する出費額のランキングなので、ピアノに関して最も少ない出費額の人が、実は「茶道の家元に直(じか)に習っています」みたいな、いったい茶道にいくらつぎ込んでいるのか庶民の私には想像不可能な人かもしれないしね。 人って、一つの側面だけでは本当にわからないもんだから。

 

ただ、どんなにお金がある人でも、たいていお金は有限だから、誰だって、できれば賢く効率的にお金を使いたいと思っているはず。 

 

というわけで、今回は、

ピアノの「大人買いではなくて、

私が考える、

大人の「ピアノ買い」において

絶対に外せない最重要の項目について考えてみたよ。

 

「ピアノを趣味にする」ことには、いろいろな要素(ファクター)が絡んでくると思う。 

メインの要素は、もちろん:

 ★ピアノ本体

 

なんだけど、ピアノを趣味にすることって、

ピアノ本体以外のいろいろな周辺要素が存在するよね、

たとえば:

 ★ピアノの置き場所

 ★ピアノの調律/メンテナンス

 ★ピアノ教師によるレッスン

 ★ライブ/コンサート鑑賞

 ★お目当てのプロの演奏家のファン(パトロン)活動

 ★ピアノサークル(仲間)

などだ。

 

普通の人の場合、趣味道楽に喜捨(きしゃ)できるお金が限られるので、

上記の全部に好きなだけお金をかけることはできないから、

どうしても取捨選択的になる。 その中で、

ピアノを趣味にする場合にどうしてもハズせない要素が、

3つある。 それらは:

 

 ★ピアノ本体

 ★ピアノの置き場所

 ★ピアノの調律/メンテナンス

 

の3つだ。とくに、見落としがちな:

 ★ピアノの置き場所 と、

 ★ピアノの調律/メンテナンス

は、ピアノを趣味にするために「ピアノを買う」行為に、ピアノ本体とセットでどうしても不可避でついてくるファクターだ。

つまり、これら3つの:

 ★ピアノ本体

 ★ピアノの置き場所

 ★ピアノの調律/メンテナンス

は、ピアノの趣味の中核を形成する「三位一体」の存在であり、どれかひとつ欠けても、ピアノの趣味は成立しない。

 

ピアノが趣味なんだから、

 ★ピアノ本体

は当然のこととして、

 

★ピアノの置き場所

ピアノは物体だから、物理的な置き場所がどうしても必要だ。 ピアノを買えるお金があっても、自宅に置く場所が無ければ、ピアノを置いて弾くことはできない。 また、

その置き場所の環境はどうか? ピアノを買って置けても、演奏音ばかりか、ヘッドフォン演奏時の打鍵の振動音が近所や階下にダダ漏れでは、騒音の苦情のもとになり、思うように楽しくピアノを弾くことができない。 これでは楽しみが半減だ。 それに、

その置き場所の大きさはどれくらいか? せっかく高級なグランドピアノを買っても、それを6畳一間に押し込んで、フタって言わないんだってね、屋根っていうんだね、を買ってから一度も全開にしたことがなく弾いていれば、せっかくそのピアノに備わった本来の性能をフルに味わって弾けていない、とても残念な状況になる。もちろん、吹き抜け天上でもない6畳一間かなんかみたいな狭小な空間でグランドピアノの屋根を全開にして弾いたら一体どうなるか、素人の私には想像もできない(狭い部屋に音が反響しまくってグランドピアノ本来の響きを味わうなんてことができるのだろうか?本来、グランドピアノはそんな狭い空間に置くものではないだろう)。かといって、天上が高くて広々した防音ルームをこしらえても、温度や湿度の管理が悪ければピアノのコンディションが安定しないだろう。

 

★ピアノの調律/メンテナンス

どんなに高価なアコースティックピアノを、どんなに音響の良い完全防音+温湿管理の広々した部屋に置いても、調律が狂っていて、アクション部分などに不具合があれば、楽器として何の意味も無い(置き物としての意味はあろうが)。 「うちは電子ピアノだから大丈夫!」も甘い考えだ。 電子ピアノも不具合と無縁ではない。 実際に私は、電子ピアノが壊れてメーカーから修理に来てもらったことがある。

 

だから、大人のピアノ愛好者にとって、

趣味のピアノに投じるお金の使い道をどんどん効率化して煮詰めていくと、

最終的に残る結晶は:

 ★ピアノ本体

 ★ピアノの置き場所

 ★ピアノの調律/メンテナンス

の3つだ。

 ( ↑ ピアノって、ほんとにクルマに似てるね。クルマも【クルマ本体+駐車場+法定点検】のどれひとつ欠けてもクルマ持てないもん。)

 

 

という理由で、私は、限られたお金を:

 ★ピアノ本体

 ★ピアノの置き場所

 ★ピアノの調律/メンテナンス

の3つの結晶に集中的に投下することにした。 

 

そして、そのほかの:

 ★ピアノ教師によるレッスン、

 ★ライブ/コンサート鑑賞、

 ★プロの演奏家のファン(パトロン)活動、

 ★ピアノサークル(仲間)

のほとんどの項目の出費を止めた。

(唯一、超一流のプロのケンバニストさんたちのライブ鑑賞といっても時節柄オンラインライブのチケット代やCD購入費用だけは、できるだけケチらないようにしている。だって、超一流の彼らにずっと音楽を続けてもらって、こちらはそれを聴いて人生を楽しみ続けたいから。私にできる、ささやかながらのファン活動だ。同時に、超一流のプロのみなさんは、「将来を嘱望される気鋭の若手プロにとって憧れの目標」、つまり言うなれば「プロ(先生の先生)の、先生」という位置づけにいる人たちなので、彼らの演奏を視聴してそこから学ぶことに勝るレッスンコンテンツは、この世に存在しないからだ)。

 

のように、節約できる項目の出費を極力削減して、

その分、

自分の余裕資金の一部で (←当前のことだが、余裕資金を「続ければ続けるほどお金が減る活動=趣味道楽」に全額つぎ込んではいけない!)

 ★予算の範囲内で自分にとって最高のピアノを買い

そのピアノのパフォーマンスを最大限に享受するために、

 ★できるだけピアノにとって理想的な置き場所と環境を確保し

 ★できるだけ理想的な調律サービスにメンテナンスしてもらう

ことに、限られた資源を集中投下することにした。

 

言い換えれば、

下記の二つのケースのうち、どちらが自分にとって満足度が高いか?を考えたのだ:

 

ケース①

今後10年間ピアノのレッスンに通い続け、レッスンの月謝に加えて、先生への盆暮れの付け届け、発表会やコンクールへの参加費用と都度先生へのお礼品、発表会の衣装費用、発表会前のグランドピアノスタジオのレンタル料、先生の恩師のピアニストのコンサートへの動員参加要請に関わるチケット代や花束代の割り勘代金や、そのピアニストが出したCDやグッズや教則本の購入費用、ならびに「大人のピアノのお稽古活動」全般において発生する交通費や社交飲食費などで、年間最低でも30万円/年を支払いつづけ(つまり10年間で300万円の出費)、加えて先生から勧められた普及版アップライトピアノを購入し、しばらくたつと「そろそろグランドピアノを買ってくださいね」と言われて勧められるままに普及版グランドピアノを購入。すると、10年間で合わせて数百万円の出費になり、10年後に物理的に手元に残ったのは中古の普及版グランドピアノだった。仕事や家事の合間を縫ってピアノのレッスンに通い続けたこの10年間、思い返せば、あんまり練習時間がとれなかったなぁ。ピアノのレッスン日は先生宅への行き帰りで半日つぶれるし、今日は仕事から直帰(ちょっき)して家でピアノの練習できる!と家に帰って夕飯もそこそこ楽譜を暗譜しようとピアノの前に座ったものの、「あ!そろそろ先生へのお中元を考えなくちゃ、去年は何を送ったっけ?去年と重ならないようにしなくちゃ」って、そっちのほうで頭の中がグルグルしちゃってピアノの前を離れてネットで商品探しをしているうちにそろそろ寝ないと明日会社に起きられない時刻になっちゃったり。発表会に出た際には、特別レッスンをしてもらったお礼の品を何にしたらいいかベテラン生徒さんにそれとなく尋ねてみたら「お礼の品にはお礼の手紙も添えなくちゃね。ちゃんとした便せんに手書きで書くのが習わしよ」って言われてエェーーー!メールやSNSの今どき便せんで手紙書くなんて一体いつの時代の話なんだよしかも町ピアノの先生相手に!どっかの上場企業の社長さんに書くんじゃないんだからさーっ!てビックリしながらも「ピアノの世界ってそういうものなのかなぁ」と思って仕事帰りに丸善(書籍/文房具店)でちゃんとした便せんと封筒を選んで、ああそうだ、ボールペンで書いたら失礼かな?万年筆のインクカートリッジもいっしょに買って家に帰って机の引き出しをひっくり返して万年筆をようやく探し出してインクカートリッジを差し込もうとしたら、古いカートリッジが乾ききっちゃってて万年筆の中もペン先も干からびたインクがこびりついてガビガビだよぅ...えーっと紙コップに水を入れて万年筆を浸して...ようやくインクカートリッジを入れられたよ、で、何度も紙に試し書きしてちゃんと濃いインクが出てきたところで、さあいよいよ手紙を、まずPCで文章の下書きを作ってそれを見ながら便せんに書こう、手書きの手紙なんて滅多に書かないし字が下手だから緊張するなぁなんて思いながらPC画面の下書きを見ながら書き写していたら、あ、間違えた!書き直しだ...、なんてやってるうちにその日の練習時間がなくなっちゃったり。それから「次の週末は久しぶりに一日練習できるぞ!」と張り切っていたら、突然先生から「私の恩師のピアニスト様のコンサートがあってチケットの売れ行きが芳しくないようだから、観に行ってもらえないかしら?」って動員要請があって、それで、楽しみにしていた練習日がつぶれちゃったこともあった。チケット代と花束代の割り勘と物販のCDもなんとなく買わなきゃいけないような雰囲気で、コンサートが終わってから他の生徒さんたちに「お茶しましょう」って誘われて、予定外の出費がいろいろかさんであの月は苦しかったなぁ。それに、確かにそのピアニストさんの演奏を生で聴いて、とてもためになったけど、その分、自分の練習時間が減っちゃったんだ。そんなこんなで練習不足のままレッスンに行ったら、「ここができてない、あそこがダメだ」って言われっぱなしで...。10年通ってマルをもらった曲がこれだけか...。あまり上手くなった気もしないしなぁ。そういえば、この間久しぶりに学生時代の友達で集まったとき、自分と同じ10年前にピアノを再開した人がいて、「10年前に思い切って上位機種のグランドピアノを買って、以来ユーチューブやなんかで独学しながら、時間があると家でずーっと弾いている。この10年間ずっと上位機種のグランドピアノの音色を楽しみながら弾き続けて、人生がとっても豊かになった」って話してた。自分が買った普及モデルの何ランクも上のモデルだ、すごいなぁ、って思ったんだ、ネットで調べてみよう、うわぁ、数百万円もするんだ!......あれ、でもさ、自分が過去に買った普及版のアップライトピアノと普及版のグランドピアノの値段を足しても結構な金額になる......、それからあの人「ピアノは独学してる」って言ってたなぁ、ということは、自分が10年間に払ったピアノのレッスン代や発表会の費用やなにやかやの金額も足して合計すると、...(電卓)....!!!上位機種のピアノの値段とたいして変わらないじゃないかーっ!! 

 

あるいは、

ケース②

ケース①で想定される予想出費を10年前倒しして、それを、自分の手が届く最高モデルのピアノの購入と、ピアノの置き場所の整備と、向こう10年間の調律費用に充てることにして、自分が入手可能な最高モデルのピアノを今すぐ直ちに購入して、これからの人生で脳も身体もいちばん若い今この瞬間から、家で弾き始める。 ピアノレッスンに関しては、既に固定費であるネット通信費で賄えるインターネット環境(動画やピアノ関連サイトなど)から無料で得られる情報で独学して、追加費用を発生させない。つまり、今すぐ、数百万円の予算内で手に入る、自分にとって最高水準のグランドピアノを直ちに手に入れて、自分にとって最高の音色を楽しみながら、今すぐさっそく弾き始める。

 

の、どちらが、自分の寿命が来た時に後悔しないか?を考えた。

そして、

「10年後に自分が健康でピアノを弾いていられるかなんて、誰にもわからない!」

ということも考慮に入れた。

 ( ↑ グランドピアノの購入を考えている人は、10年後に、グランドピアノのフタじゃなくて屋根を自力で開閉できるだけの筋力・体力が自分に残っているかどうか?も考慮に入れた方がいいだろう)。

 

それだけではない。

近年、国内外のピアノメーカーは毎年必ず値上げをする

ということも頭の片隅に置いた。

値上げの主な理由は、原材料の需給ひっ迫による原材料費の値上がりらしいが、今や響板などの木材をはじめ材料をグローバルに調達している国内メーカーも例外ではない。加えて、コロナによるグローバル生産とグローバル物流の滞りが、ピアノをはじめ様々な工業製品の製造や流通に影響している、と、内外のピアノ販売業者の動画を視聴して感じた(加えて、今後は、欧州の戦禍の影響も出てくるのではなかろうか)。

 

ピアノ購入で考慮すべき要素は他にもある。

為替変動だ。

近年の円安基調は、輸入ピアノの国内販売価格が値上がりしていくことを意味している。 

輸入ピアノに限らない。木材などの原材料をグローバルに調達する国内ピアノメーカーも、円安によって原材料の輸入価格が上がるから、その分を販売価格に上乗せしてくるだろう。

つまり、10年後よりも、なるべく早いうちに買った方が、様々な理由で好ましいと、個人的に思った。

「10年後には円高に振れているかもしれないよ」 ←たしかに、将来のことはわからない。 だが、同様に、10年後に自分が生きているかどうかも、健康でいるかどうかも、わからない。

 

このようにして、

ピアノ趣味に絶対に必要な下記の3点に、自分の限り有るささやかな資源を徹底的に集中投下して、生きているうちに、健康でピアノが弾けるうちに、老化が進んで思うようにピアノが弾けなくなる前に、そして、今自分の手に届くピアノがまだ自分の手に届く値段のうちに、自分が買える範囲でなるべく自分が満足する品質のピアノを、限り有る人生後半の早い段階で手に入れて、それをなるべくそのピアノのパフォーマンスが発揮できるような「入れ物」に入れて、良い調律サービスに最適状態にメンテナンスしてもらいながら、健康寿命のある限りそれを弾きまくってピアノ代金のモトを取ろう!と考えた。 そして現時点で:

 ★ピアノ本体

 ★ピアノの置き場所

 ★ピアノの調律/メンテナンス

のうち、

ピアノについては、自分の予算の範囲内で満足の行くモデルを購入することができた。

置き場所については、防音にいささか不安が有り、夜間は弾かないようにしているが、前のピアノを弾いていた時から近所から苦情を受けたことは無い(商業地・市街地・郊外の住宅地・マンション・一戸建・家の大きさ・家の中のピアノの置き場所などのファクターの組み合わせによって近隣への騒音の程度は違ってくると感じる)。 

新規に買ったピアノの調律サービスにはとても満足している(購入したお店の調律師さんに担当してもらっている)。

 

ということで、個人的な次の目標は、24時間演奏可能な防音環境を確立することである。

 

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アコースティックピアノを買う際に軽んじがちになるのは、

ピアノ購入後のメンテナンスサービス、つまり、

調律師さんの存在だ。

実のところ、

アコースティックピアノを買う」ことは「調律師さんも一緒に買う」ことに他ならない。  

ピアノだけを買って調律師さんが要らない場合は、2つの例外を除いて、不可能だ。 その例外とは:

 例外①:電子ピアノを買う。

 例外②:自分で調律できる。

だ! 

とはいっても、

 例外①:電子ピアノも壊れることがあるから、その時は修理に来てもらう必要が有る。 ←私は実際に、電子ピアノの不具合で、メーカーから修理に来てもらったことがある。

 例外②:自分で調律できればどんなにいいだろう!は、誰でも一度は考えることかもしれないね。でも、仮に自分のピアノを自分で調律できるスキルがあったら、調律師になってるんじゃないかな。 それに、調律師になるには、向き不向きがあるんじゃないかな~?って感じる。 単に耳が良いだけじゃなくて、細かい作業を長い間黙々と続けられる集中力が必要だし、重いパーツを動かすこともあるから筋力も必要だろう。 もちろん、ピアノの複雑なメカニズムを理解しなければいけない。 聴覚能力が衰えてくる中高年がゼロから調律を習得するのは大変だろうしね。 おそらく、クルマの整備作業までとはいかないまでの、同じような性質の仕事なのかな? もちろん、乗る人や歩行者の命がかかる自動車の整備作業と、単純には比較できないとは思うけど。

 

だから、

究極的には、

アコースティックピアノを買うこと = 調律サービスも一緒に買うこと

といっても過言ではない。

 

次の記事に続く:

tokyotoad1.hatenablog.com

 

tokyotoad

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた(←諦めて命拾いした!と、今じぶんの人生をしみじみ振り返って背筋がゾッとしている)「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

★ピアノの先生/ブロガー/ユーチューバー/出版社/放送局などの方へ: このブログに記載されている内容を、レッスンや出版などの営利目的/非営利目的(レッスン等で使用・販売する教材、レッスンで教える内容、宣伝等のためのブログ記事での使用等を含む、営利目的につながる可能性のある使用)や非営利目的その他の目的のために、このブログの作者(原作者)であるtokyotoadへの事前の承諾なく無断で使用(複製・コピー・利用・転用・流用・編集・加工・出版・頒布・送信・アップロード・放送・発表等)することは、原作者の権利や人格を保護する著作権法に対する違反行為です。くれぐれもご注意ください。

↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。