ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ道楽の日々

大人のピアノお稽古が続かない理由(その④・⑤・⑥)

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大人のお稽古事が長続きしないことには、ピアノのお稽古特有の要因もあるのではないかと思う。

「理由① コスパが悪すぎ!」

「理由②「おカネ」+「時間」+「満足」の総合的な収支バランスがマイナスだから!」、

「理由③ おカネに関する認識の違い:おカネを払った方が見下される世界、領収書の無い世界」 

に加えて:

 

④ そもそもピアノが目的じゃなかった: 

「ピアノは脳トレになりますよ」⇒ 脳トレやボケ防止の手段としてピアノを習いはじめた 

東大生の多くが子どもの頃にピアノを習っていた」⇒ モテたい。ピアノを弾く男性は優秀なイメージがあるからモテるのではと夢想する。「出来の悪い自分たちから生まれたウチの子どももピアノを習わせれば東大に入れるかもしれない」という親の夢想。

「ピアノのマナー」⇒ モテたい。ピアノを弾く女性は裕福な家のお嬢様のイメージが有るからモテるのではと夢想する。 ウチの子がお行儀がよくなれば育ちが良く見えるのでは...という親の夢想。 ところで、ピアノのマナーっていったい何すか?私にゃとんとわからんよ。...あ、そうか、舞台人(エンターテイナー)のマナーのことか。

「ピアノを習うと知能が上がりますよ」:うちの子どもの知能を上げたいという親の夢想。

「ピアノは躾(しつけ)になります」:うちの子どもの躾(しつけ)のためにという親の夢想。 ところでさ、ピアノで躾(しつけ)っていったい何すか?私にゃとんとわからんよ。...あ、そうか、舞台人(エンターテイナー)になるための躾(しつけ)ってことか。

「ピアノの規則的な練習で忍耐力が培われます」:うちの子どもに忍耐力ができますようにという親の夢想。

これらの、ピアノ教室の宣伝の際によく言われるPR文句に基づくと、

ピアノのお稽古は、ピアノや音楽とは関係の無い「何か」を獲得するためのライフハック的な手段になったことがわかる。 これらの誘い文句にひかれて、習う方は「ピアノを手段にして、その目的を獲得する」ためにピアノを習い始める。 だから、その「何か」を得られる見込みが無さそうだと思った時点で、ピアノを習うのを止めてしまう。 そもそも、さいしょからピアノに興味がなかったのだ。 

「何か」を得るための手段は、他にもたくさんあるからだ。 脳トレやボケ防止のためだったら、社会人劇団に入ったほうが遥かに効果的だろう。日々の稽古での柔軟運動や発声練習、セリフを覚え、脚本の段取りを覚え、舞台を歩き回り時には踊り、他の団員とのコミュニケーション、興行の準備、チケットの売り込みと興行収支の管理...など、心身フル回転の総合的な芸術活動だ。そして、素人芝居の世界は、ピアノとは比べようもないくらい直接&間接的にカネが出ていく、金持ちにしか許されない「自己実現」道楽の最たるもののひとつだろう(だいたいプロの劇団からして儲からない)。 それに、ボケ防止のためには、何よりも、歳をとってからもずーっと働き続けるのが最良の方法だ。 コンビニのバイトは最高のボケ防止になる。 おびただしい種類の商品をそれぞれ指定の棚に置き、商品ばかりか切手や公共料金の支払いから粗大ゴミシールから宅急便からコンサートチケット代までありとあらゆるものの入金をそれぞれの手順で処理し、手すきの時間には店内や店先の掃除をしたりゴミ袋を入れ替えるなど、超マルチタスクの目まぐるしい仕事でボケるヒマなんて無いうえに労働の対価としておカネがもらえる。 我が子を東大に入れたいなら塾に通わせ中学受験をさせて有名進学校に入学させた後も塾や予備校に通わせた方がいいし、第一自分と配偶者の学歴を考えてみるべきだ。 通常、トンビからは、良くても、少しだけ優秀なトンビしか生まれないものだ。 男性も女性も、モテたいなら、まずは健康で明朗快活で清潔な身なりをしてよく気が利いて誠実な、テキパキ仕事がデキる好感度の高い人物を目指すべきだ。 そうすれば、人物と仕事ぶりが信頼されるから、職場の上司から見込まれ、同僚から頼りにされ、取引先からの評判も上々で、ご近所さんの心象も良いから、自然と周りに人が集まってくる。 そのような万人にモテる人は、当然ながら優れた恋人ができるだろうし、間違いなく「どこに出しても(紹介者が)恥ずかしくない人物」だから、上役や親戚のおばさんが良い縁談話を持ってきてくれるというものだ。 子どもにマナーを学ばせたければ、舞台の上から客席のパトロン相手に芸を見せる生業のマナーよりも、パトロンである殿様お姫様の作法である小笠原流や茶道を習わせた方が良いのではなかろうか。もちろん本格的に習えば習うほどベラボウにカネがかかる、正真正銘のご令嬢やご令息のたしなみだ。 男性の場合はお能を習うという手もある。お殿様自らが賓客をもてなすための、たしなみ芸だし、姿勢や立ち居振る舞いが良くなるだろう(女性が習ってももちろん良い)。もちろん茶道も、殿様が賓客をもてなすたしなみ芸だ。習える財力があれば男性も女性も習いたいのが茶道だろう(私だっておカネが山のように有ったら絶対に習いたいよ!...orz...)。 子どもは親の鏡だ。 親に忍耐力が無いのに、1週間に1度のピアノのお稽古に通わせるぐらいで子どもの忍耐力が向上するだろうか?  知能向上を培うなら、そろばんやパソコンのほうが学業に直接好影響があるだろうし、スポーツは知能も体力も向上できる。 仕事でも何でも人間何かをマトモにやるときは手指を活発に使う。 「手指の運動のためにピアノを習おうか」なんて考える輩(ヤカラ)は、常日頃何にもしないで茶の間でゴロゴロしてお煎餅をほおばりながらテレビばかり見ている人間ぐらいだろう。 

ピアノは、ピアノを通して音楽を楽しむ本来の目的以外の目的のための単なるライフハックツールになってしまった。 そこには、ピアノを弾く楽しさや、音楽の楽しさが、あるのだろうか?

そうしたのは、上記のように宣伝し続ける、ピアノ教育利権だ。 

数年前にピアノを再開したころには、まだピアノ教師たちによる意味あるホームページが残っていて、腕の動かし方や練習方法やストレッチの方法など、それらが有益かどうかは誰にもわからないけれど、彼らが自ら試し実践する理論や方法についての長文の説明が掲載されていて、それなりに読みごたえがあるものだった。 だが、今はそういった有益なホームページはほとんど姿を消したみたいだ。 理由は、日本のプロバイダーが軒並みホームページサービスを終了したからだろう。 代わりに近年目につくのが、ピアノ教師による自分の教室のPRブログで、子どもが飽きずに練習するためのツールがどうとか、コンクールや検定がどうしたとか、ピアノは頭が良くなるとか健康に良いといった健康食品のCMと見まごうような見出しなど、ピアノや音楽そのものの内容が乏しくて見るだけ時間の無駄と感じたので、すっかり見なくなった。 それよりも、長年独学で試行錯誤を続けるアマチュアのページのほうが遥かに内容が真に迫ってくるし、コロナ後は、音楽産業のトップで活躍するプロたちが軒並み動画やサイトどでプロならではの実践的な情報を紹介し始めている。

追記: 何かを得るツールとしてのピアノ。 もうひとつ、大人のピアノお稽古に特有のツールの種類があった。 大人の恋愛目的のピアノのお稽古だ。 ピアノの先生にとって、教室に大人のピアノ愛好家を受け入れる際の難しさのひとつが、これではないか。 表立って語られることは少ないと思うが、大人の愛好家同士や先生との間での、人間関係のいろいろなトラブルに見舞われることもあるのではないか。   

 

 

⑤ ピアノの先生に言われたようにしただけです: 

「ピアノをやってみたいなぁ、でも電子ピアノしか家に置けないし...」それでもピアノを習いたくてピアノ教室の門を叩くと、アコースティックグランドピアノがドドーンと鎮座するレッスン室。 その光景だけで、もうじゅうぶんに何かが語られているし、何かの終わりも既に予見できる。 子どもの頃からグランドピアノを買い与えられてグランドピアノを何台も弾き潰して音大を卒業して自宅にこしらえてもらったレッスン室に愛犬を抱えて座る先生から言われるのは「電子ピアノでは教えられないわ!」「せめてアップライトピアノを!」「グランドピアノを買わないと上級に進むのは無理!」。 あるいは、「電子ピアノでも弾けますよ(ただし真面目なクラシックの上級曲を弾けるとは夢にも思わないでね)」。 これらのメッセージを下賎な私の言葉に翻訳すると、「電子ピアノでピアノを習いたい?無理に決まってるだろーが!味噌汁で顔洗ってアコースティックグランドピアノを買ってから出直して来い!」だ。 はい、先生に言われたとおりレッスンを辞めて味噌汁で顔洗ってきます。 

 

 

⑥ ピアノ教育界よりも上の世界に入っちゃったから: 

「グランドピアノを買わなければ無理!」 イコール 「てめー(の親)はカネ持ってんのか?無ければこれ以上進むのは無理に決まってるだろーが!貧乏人ふぜいがピアノの道に進むのは、はなっから無理なんだよ!」 や、

「大人は楽しくのんびり続ければいいんですよ」 イコール 「大人は上達の望みはねーんだよ!なに今頃ノコノコとピアノを習いに来てんの?まぁこっちは、少子化の穴埋めになるいいカネヅルと思って、せいぜいご機嫌取ってテキトーにあしらって稼がせてもらうよ!」

という意味のことを実質的に先生から言われて、ハッと目が覚めました。 レッスンを辞めて、中学生の自分は、愚鈍ながらも一生懸命勉強して、自分の実力なりに良い大学に入って、自分なりに良い会社に就職しました。 大人の自分は、わき目もふらずに仕事をして、お給料も少しずつ上がっていきました。 いつも、ひとつの動きでふたつのことをするように、時間を最大限に効率的に使うようにして生きてきました。 「稼ぎに追いつく貧乏無し」の気持ちで働いて、どんなこともケチケチ節約してチマチマチマチマおカネを貯めました。 そして、中高年になって、ようやく人生にひと息つけるようになったとき、何十年も前にすっかり諦めてしまっていたピアノのことを思い出しました。 今回の人生ではもう縁が無いだろうと、心の奥底に封印して石の重しを乗せていた、音楽のことを思い出しました。 子どもの頃に習った先生に会いに行きました。 先生は昔とちっとも変っていませんでした。 ところが、私のほうが随分と変わってしまったことに、気がつきました。 私は、「社会の中で揉まれ、もがいているうちに、自分なりにずいぶん遠くまで来たんだなぁ」と、しみじみ思って、ちょっと感無量になりました。 そして私は新しくピアノを買いに行きました。 いろいろ調べて、いろんな人の話を聞いて、いろいろなお店に行って試し弾きして、自分の貯金とも相談して、ついに、自分の手が届く範囲で納得のいく、これからの第二の人生を一緒に歩いてくれる、自分にとって最高の「音楽の友達」を見つけました。 そして私はそのとき、ピアノをライフハックの道具のように宣伝しておカネを稼ごうとする道に進まなくてよかったと、心から思いました。 私にとっては、親にさんざん経済的な負担をかけた末に街角のピアノ教師になっていたら絶対に手に入らなかった「音楽の友達」です。 そんな折、「ある高級グランドピアノを買ったことをピアノの先生につい嬉しくて話したら、次のレッスンから先生の態度が冷たく変わってしまった」という大人のピアノ愛好家さんの話を読みました。 そうか、先生よりも良いピアノを持つと、先生から嫉妬されるんだ、と思いました。 先生よりも良いピアノを買うと先生にやっかまれて冷遇される、先生より悪いピアノを買うと先生は鼻高々でこちらとこちらのピアノを見下す。 私はどっちもイヤだと思いました。 せっかく巡り会って自宅に迎え入れた、これから一緒に音楽を楽しんでいく「音楽の友達」が、どこぞやのピアノ教師にケチをつけられるのだけは絶対にイヤだ!と思いました。 私が自分の人生を削って汗して働いて稼いだおカネが姿を変えた「私の分身」を「私の人生そのもの」を、親に買い与えてもらったピアノを振りかざして自慢するピアノ教師に傷つけられるのだけは絶対にイヤだ!と思いました。  

「電子ピアノよりもアップライトピアノを!」「アップライトピアノよりもグランドピアノを!」とピアノの先生方は言います。 ところが、「ピアノすごろく」には、その先が有ることも、知りました。 グランドピアノが「上がり」ではありませんでした。 その上に、もう一段ステップが有ることを、知りました。 それは、「国産グランドピアノよりも高級輸入グランドピアノを!」です。 ピアノは本家(西洋)には敵(かな)わない:「音楽の友達」探しをしているときに話を聞いた、国産ピアノを扱う業者も、心の底ではそう思っているんだなぁ、と感じました。 だから、西洋クラシックピアノ曲を演奏する場合は、なおさらのこと、国産グランドピアノを何台買い替えても、何台持っていようとも、ご本家西洋が生産した高級輸入グランドピアノ1台の音色には敵(かな)わないんだろうなぁ、と思いました。 そして、「国産グランドピアノよりも高級輸入グランドピアノを!」と言い放てるクラシックピアノの先生はとても少ないんだろうなぁと思いました。 少なくとも、子どもの頃の私の先生は、そう言えません。 持ってなければ、そう言い放てませんから。 先生のピアノよりも良いピアノを手に入れたとき、ピアノ教育の世界を突き破って別次元の世界へ「上がる」んだな、と思いました。

 

いいえ。違います。 

値段がいくらであれ、ブランドが何であれ、種類がどうであれ、アコースティックか電気駆動かがどうであれ、

これから私と一緒に音楽を楽しんでくれる、

私にとって最高の「音楽の友達」と巡り会って家に迎え入れた時に、 

私の大切な「音楽の友達」は、私を、 

ピアノ教師や偏狭なピアノ愛好家の見栄や侮蔑や嫉妬や足の引っ張り合いや脅しが飛び交う修羅場(バトルフィールド)から、

純粋に音楽の喜びしかない天上界に引き上げてくれたのです。

 

私が大人になって再び訪れた時に、子どもの頃の先生のレッスン室には二台目の国産ピアノがありました。 「このピアノを買うのが夢だったの!」と、先生は、レッスン室に鎮座する大きい方の国産グランドピアノを満足げに指差しました。 そのとき、「私の親が働いて節約して払ってくれていた月謝は、先生のピアノ資金にいくらかはなったのかなぁ?先生の教室の防音工事の足しになったのかなぁ?」と何となく思いました。 私は、他人のピアノ買いに自分のおカネを貢ぐよりも、その分を自分のピアノ買いに充てて、自分が納得する、自分にとって最高の「音楽の友達」を家に迎え入れることができて、心からよかったと思いました。

 

今は、ピアノの演奏の基礎は、おびただしい数の動画を視ればわかるし、安価な練習アプリもあるから、自分で始めることができます。 自分の家で、私にとって理想の「音楽の友達」と一緒に、音楽の楽しみを心から味わいながら過ごしている時が、今までの人生でいちばん幸せです。 ようやく、ピアノを、音楽を、心の底から楽しめるようになりました。

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