ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

中高年ピアノ初心者がピアノを始める際のハンデ

 

以下は20220219にアメブロに書いた記事:

 

中高年のピアノ初心者がピアノを始める際のハンデ...

などと書くと、

「そんなことはありません!

 ピアノはいくつになっても弾けるようになりますよ!」

 

という反対意見がどこかから聞こえてきそうだが、

 

そんなラクショーなはずないだろっ!

 

中高年のサッカー初心者がサッカーを始める際のハンデ...

と書いて、

「そんなことはありません!

 サッカーはいくつになってもプレーできるようになりますよ!」

と反論されるようなものだ。

 

そりゃそうだよ。

なんだってそうだよ。

 

中高年なりの 'ラクショーさ' で

ピアノも、中高年なりに弾けるようになるに過ぎない。

 

脳も身体も柔らかい育ちざかりの中高じゃないんだから、

 ① 覚えられない ←脳の老化

 ② 楽譜が見えない ←老眼・飛蚊症

 ③ 身体が動かない ←身体の老化・フレイル

 ④ 怪我のリスクが高まる ←同上

 ⑤ 聞こえない ←耳の老化

といった、

中高ならではのハンデを否定することはできない。

 

上記のなかで、

ピアノ教育において一般的に認識されていない

中高にとって重大なハンデになると私が感じるのが:

⑤ 聞こえない ←耳の老化

である。

 

私が意味する「耳の老化」とは、

「遮音ブースの中に入って

 ヘッドフォンをつけて

 片手にブザーを持って

 ピーっと音が聞こえたらすぐにブザーを押してください」

的な、健康診断的な聴覚の老化というよりも、

 

音程を認識&把握する能力の老化

のことである。 

つまり、加齢による

絶対音感&相対音感の喪失

である。

 

そして、

これは、中高のピアノ初心者だけの問題ではない。

中高のピアノ再開組が直面する問題でもある。

 

私の場合、

中学でピアノのレッスンをやめ、

就職してからはほとんどピアノに触れることはなくなり、

50歳前後にピアノを再開したときに、

子どもの頃に持っていた絶対音感

半音~全音ズレてしまっていることに気がついた。

 

さらに、

私と全く同様に

中年になったら絶対音感が半音~全音ズレてしまった人と、

数年前のピアノ会でご一緒したことがあった。

 

さらに、さらに、

絶対音感は、50歳前後からズレはじめて

 60歳前後で完全に失われる、という説がある」

と解説する、

音楽のプロ中のプロ中のそのまたプロの

登録者数300万人超の世界的な音楽教育系ユーチューバーさんの動画を見てしまった。

 

子どもの頃に絶対音感

 (といってもピアノの半音刻みの粗い絶対音感ではあるが)

があったにも関わらず、

中高年になったらズレてしまう人たちがいるのだ!

と、私は、

自らの経験を踏まえて確信している。

 

さらに、

絶対音感だけならいざしらず、

ようやく育ってきた相対音感もアヤフヤな気がして、

危機感を覚えたし、

今でも危機感を持っている。

 

「ピアノが趣味なので絶対音感を持っています」

と自慢げに言うピアノ愛好家がいるが、

実は、絶対音感よりも、

音楽にとって死活的に重要なのは、相対音感のほうだ。

相対音感を持っていなければ、音楽をするのは厳しいものとなる。

なんせ、

相対音感が無い、イコール、音痴だからだ!

 

とはいうものの、

相対音感は、鍛え方によっては、

中高年になっても

ある程度育成または回復することができるのではないか、

と感じている。

 

そして、

相対音感を鍛えるには

ジャズピアノの練習方法が適している

と感じている。

 

ジャズピアノの練習方法は、

クラシックピアノの練習方法とは似ても似つかない、

まったく異質の、別物の方法であって、

ある意味、情け容赦のない、音楽特訓方法である。

まったくのピアノ初心者ばかりか、

世の一般的なクラシックピアノのお稽古経験者にとっても、

クラシックピアノのお稽古とは異次元的な

情け容赦の無さは、同様だ。

 

むしろ、

世の一般的なクラシックピアノのお稽古経験者のほうが、

ジャズピアノを始める際のハンデは大きいかもしれない。

クラシックピアノ経験者が背負うハンデには、

  ① 文化的、というか、もはや宗教的ともいえるハンデ

  ② 音楽構造の進化論的なハンデ(←クラシックピアノのレッスンは、20世紀中の西洋音楽のカンブリア的な進化から遠く取り残されてしまっている)

  ③ ①+②に直面せざるを得ない精神的苦痛、というハンデ

がある。

それは、あたかも、

今まで水中でフワフワ生活していた両生類が

いきなり地上での生活を強いられたときに受けるハンデのごときものだ。

つまり、

今まで水が受け止めてくれていた重力を、

いきなり地上に上げられたことで、

自分自身で全身に受けとめるハメになって

その重みに、のたうち回る苦しみのごときものだ。

   (↑三木成夫氏の著作に詳細が有る)  

 

これに比べれば、

ピアノは初めてであっても

他の楽器やボーカルなどの経験者のほうが、

ジャズピアノを始める際のハンデは軽いかもしれない。

楽譜の基本的な読み方を知っていて、かつ、

クラシックピアノ教のドグマに染まっていないからだ。

 

水中生活でエンジョイしていた恩恵は、 裏を返せば

地上生活で被るハンデだ。

ハンデは、呪いだ。

私は、50歳前後でピアノを再開して5年の間、

クラシックピアノ教の呪いを解くべく

のたうち回っている えーんえーんえーん

そして、

少しずつではあるが、

その呪いを解くことに、成功している。

その結果、

子どもの頃には持っていなかった

相対音感を獲得することができた! そして、

生まれてから今がいちばん、

ピアノを複雑なハーモニーで弾けるようになって、

クラシックピアノの先生や「クラシックピアノ上級者」の愛好者が言うところの

「おもしろい音」を使って、

洗練された即興演奏ができるようになってきた。

「おもしろい音」は、相対音感が無ければ、

自家薬籠中のものにはできないと思う。

 (だから、クラシックピアノの先生や「クラシックピアノ上級者」は、

  単に「おもしろい音」と表現するのだと思う)

中高年になってからのジャズによる音楽特訓方法は、

脳みそがひん曲がるほど苦しいが、

相対音感の育成と回復に適している、と私は感じている。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

中高年ピアノ初心者がピアノを始める際のハンデ | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。