ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ピアノと日本の古典文学

 

最近、ピアノに生かせる日本の古典文学の金言を書いていますが、

私的に、ピアノじゃなくても楽器全般いや芸事全般を追求するために、いやもっと言えば、この世で生きるために押さえておきたい!と思う日本の古典の名著は: 

 

鴨長明方丈記鎌倉時代初期 

 当ブログでカバー済み。➡ブログの名前を変更しました - ピアノ方丈記

 

吉田兼好徒然草鎌倉時代末期 

 当ブログでカバー済み。➡ピアノ徒然草(つれづれぐさ) - ピアノ方丈記

 

世阿弥風姿花伝室町時代 

当ブログで触れたことがあるけど、芸道を志す日本人は読むべき本。 もちろん一般企業の会社員にとっても、自分のキャリアをどう練り上げていくかや、取引先相手や社内のプレゼンに生かせる奥義が綴られている。 といいますかね、人間として生まれた以上、サラリーマンでも商売人でも職人でも技術屋でも企業経営者でも芸人でも主婦でも、人生とは「自らが体得した技術と現場の実戦で培ったノウハウを、いかに社会の利益と繁栄と幸せにつながる方向で表現(プレゼン)+貢献(デリバー)して、自ら(と扶養家族が)生き残るか!」ですから、室町時代のカリスマ能楽師の一家相伝(いっかそうでん)の奥義から学ぶところが大いにあるわけです。 学生さんも生徒・児童さんも、保護者の扶養を受けている子ども時代からこの視点をしっかり持っていると、これからの長い人生のために、下記⑤の本多静六翁が説いた「人生設計」がしっかりできると、私は思います。

 

宮本武蔵五輪書江戸時代初期 

 サラリーマンから起業家から芸術家まで読むべき本だと、個人的に思う。 宮本武蔵さんは剣術家なので、いかに敵を文字どおり「殺すか」にフォーカスした内容になっていますが、本の冒頭に書かれているとおり、大工でも商人でも剣豪でも、キャリア達成の心構えは変わらない。 それは、いかにお客さんを「コロすか」、つまりコロっとさせるか!だ。 大工(職人)や商人にとっては、いかにお客さんをコロっとさせて、つまり、お客さんが「さすが!この人は、私の大切なお金を払うだけの価値があるプロだ!」と喜び納得してお金を払ってくれるサービスや商品をお客さんに提供できるかどうか!だ。 就職活動もしかり。その会社から内定をもらえたのは、会社があなたにコロっとした!からだよ。 そして、入社してからも同様。上司をコロっとさせるような優れた仕事をし続ける、会社に価値を貢献できる社員は、社内でますます重要な仕事を任されて出世して給料が上がっていくから、副業する必要が無いというか、本業がすでに忙しいから副業する暇なんて無い。 『五輪書』には、あらゆる職業のキャリア成功のための心理的な極意が書かれていると同時に、「教師がカネを稼ぐためだけのお稽古ビジネス」に対する警鐘も高らかに鳴らしている。 すでに江戸時代初期に、「師範なるものが自分のカネ稼ぎとして、実戦ではちっとも役に立たない皮相的で不毛なスキルを教えるお稽古事ビジネス」が、いかにはびこっていたかを、知ることができる。 また、そのようなお稽古事や学校で習った教則本や指導要領どおりの型や方法論をどんなに組み合わせて自分を大きく見せたところで、現実世界の戦い(=世間の仕事)においては、「絶対にお客さんをコロっとさせるぞ!」と生きるか死ぬかの覚悟で戦場(=仕事の現場)に乗り込んでくる本物の武士(もののふ)の前に全く歯が立たずに敗れ去るのは明白だ!ということも、知ることができる。

 

本多静六 の三部作(文庫本) 明治~昭和 

まだ古典と呼ぶには新しいけど、本当に考えさせられる本多静六さんの三部作でした。 なりふり構わぬ超節約ケチケチ貯金生活によっておカネを貯めた後に、時代の波に乗った適時で的を得た投資によって巨万の富を築く ➡ その有り余る富をいかに使うか、についての、「平凡な貧乏人」の超ドケチ貯金生活+時代の機を捉えた投資の大成功の哲学とその顛末を、戦後の焼け野原から日本が再出発し始めた頃の若者に向けて熱く炸裂する、本多静六翁の魂の金言の数々。 没落家庭の貧乏育ち ➡ 10代で働きながら決死の「糞(クソ)勉強」の猛烈スタートダッシュによって明治政府の国費留学という出世街道のポールポジションをゲット! ➡ ドイツ留学帰還後の東大勤務中になりふり構わぬドケチ貯金生活を敢行! ➡ 時代の波をとらえた的確な投資で上(のぼ)り竜のような劇的な成金ストーリーと死ぬまでブレない節約ライフスタイルに、私は大いに共感し、感銘を受けました。 本多静六さんの非情なまでのドケチな超節約ライフスタイルを「ちょっとやりすぎじゃないの?」と思う人は、お金に恵まれた環境に生まれた人です。 お金が乏しい環境に生まれた人間は、他人は言うに及ばず身内や、そして何よりも自分に対して冷徹非情にならなければ、昼間の俸給仕事でお金を稼いで貯めることはできない、と、私は経験上思います。 本多静六さんの超ド級の成り上がり+成金の規模には全くもって遠く及ばないものの、私も、ゴマ粒ほどのささやか過ぎる身の程の小さな小さな枠内で、私なりに少しは成り上がりましたから、そう思います。 そして、その結果として、「親に頼れずにコマネズミのように働いてゼロから貯金をこしらえるところから始めなければならない私ごときにピアノや音楽の夢なんて100年(=3世代)早いんだ。だからこの世ではもう縁が無いんだ」とすっかりあきらめてしまっていたピアノと音楽を、今現在、楽しんでいる自分がいます。 本多翁が書いておられる「貧乏と失敗は若いうちに経験してしまったほうがいい」というのは、本当にそのとおりだと思います。 齢(とし)をとってからの貧乏と失敗は、若い時よりシンドイばかりか、若い時よりダメージが大きくなるので、社会的にも生物学的にも命取りになりかねない。 ピアノに限らず、あらゆる夢の追求や趣味道楽は、それが何十年にもわたって安定的に食べていける「稼げる仕事」にならない限りは、何らかの安定した経済基盤の上にドブに捨ててもいい余剰資金が無いと、できません。 本多静六翁が説かれた、若い頃からの人生設計の必要性は、自分の一生が陽転するか陰転するかの、まさに肝心かなめであったなぁ、と、還暦を迎えつつある私は、背筋がゾッとするとともに、これからますます齢をとって経済的にも身体的にも自由が利かなくなっていく人生を更に気を引き締めて生きていこう!と思いました。

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