ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ道楽の日々

社会人は自分が好きな曲を弾くといい ①

ハノンや体幹を鍛える基礎トレーニングをやるといいと思っていますが(個人的には効果を感じる)、

 

基礎トレーニングのほかは、自分が弾きたい曲を弾くのがいいと思ってそうしています。

 

社会人は趣味につかえる時間が少ないし、人生の時間は限られているので、どんなに身分不相応な曲と自分が思っても、そして人から思われても、今自分が弾きたい曲を弾きます。明日何が起きて、ピアノを(物理的に、または経済的に)弾けなくなるかわかりません。

 

それに、身もふたもない話ですが、素人は自分のお金を払ってピアノを弾くんですから、自分の好きな曲を弾くことを誰も止めることはできません。たとえ下手であっても、弾きたい曲を弾いて自分が満足すれば、それが最高です。

 

さらに、もっと身もふたもないことですが、わたしのような身体の使い方がわからない人が簡単な曲を弾いても、難しい曲を弾いても、下手に変わりはないからです(「わたしのような」と書きましたが、身体の使い方を知らずにピアノを教えている先生がたくさんいます(ほとんどだと思います)。じゃなければ、「演奏家のためのなんとかテクニーク」みたいな身体操作のレッスンが繁盛するはずがありません。「上級者のための...」と謳う身体操作のレッスンもありますね。つまり、身体の使い方がわからなくて悩んでいる上級者がたくさんいるということですが、それって「上級者」っていうの?)。

 

一流のピアニストが弾けば、ブルグミュラー25も、リストの超絶技巧の曲も、なんでも名演奏になりますし、「文七元結(ぶんしちもっとい)」高座にかけてお客さんをうならせる大名人が「寿限無」をやっても、やっぱり至高の名人芸になります。そして、その逆もまさに真なりです。

 

なにを弾いても下手なら、弾きたい曲を弾いたほうがいいに決まっています。それに、基礎トレーニングをつづけていれば、身体の動かし方がわかってきて、好きな曲を弾きながら少しずつ腕が上がっていくと思います。

 

というのは、以前ピアノ会で、実力とかけ離れた曲を楽しそうに弾く方を二人ほど見たからです。

 

一人の方は、印象派のメジャーな作曲家の、そんなにメジャーじゃないパーカッシブでリズミカルな曲を弾かれました。その人が弾き始めた瞬間、「ゲっ、遅っ!」と私は心の中で叫びました。というのは、私はその曲を、ギーゼキングのCDで知っていたからです。

 

しかし次の瞬間、「そうだ、この人はわたしと同じ素人で、ギーゼキングじゃないんだっ!」と強く思い直しました。だいたい、いま地球上で、ギーゼキングと同じ力量とスピードでこの曲を演奏できるプロのピアニストがいったい何人いるでしょうか?

 

また、とあるピアノの発表会で、おなじ作曲家のアルペジオが激しく入り乱れる難曲を、会の主催者で音大ピアノ科卒の先生が弾きましたが、そのときも、私はその曲をやっぱりギーゼキングの超絶技巧ハイスピード演奏でしか知らなかったので、「ゲっ、下手っ!」と思ってしまったのでした。

 

世界的なピアニストの演奏を聴いてそれがふつうだと思いこんでいるわたしのように、誰の演奏でも神業と比較してしまう人は、とても残酷な存在です。

 

話はもどりまして、その素人さんのスローな演奏をしばらく聴いているうちに、彼女がとても楽しそうに弾いていることに気がつきました。 ギーゼキングじゃないんだから、楽しく弾くのがいちばんですよ。

 

たぶん、彼女のピアノの先生は、「彼女が弾きたいと思っているのだから」と、彼女を主役に、彼女にスポットライトを当ててレッスンをしているんでしょう(←言うまでもない当然のことなんですが、往々にして自分がスターになっちゃっている先生がいますからね)。

(その➁につづきます)

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