ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ道楽の日々

社会人は自分の好きな曲を弾くといい ②

(その① ↓ からのつづきです)

社会人は自分が好きな曲を弾くといい ① - おんがくの彼岸(ひがん)

 

もう一人、実力と相当ギャップのある曲を弾かれた方は、ロマン派の超メジャーな作曲家の最も有名な曲のひとつで、両手アルペジオポリリズムで入り乱れる難曲を、ものすごい遅いスピードで、まちがったりとまったりしながらも、なんと最後まで弾き切りました !

 

そして、弾き終わるとニコニコして自分の席に戻ってきたのでした。2~3年くらい前にピアノを始めた全くの初心者とのことで、「この曲が弾きたくてピアノを始めたんです」と嬉しそうに言っていました。

 

子どものときからピアノを習っても、ふつうは何年もかかってようやくやらせてもらえるかもらえないかという難曲です(←でもそんなこと、一体全体、誰が何の権利をもって決めたことなんだろうか?)。でも、その曲を弾きたくてピアノを始めた彼女の弾きたい気持ちをだれが止めることができるでしょうか !!

 

 彼女の先生は、「こんな難しい曲を、まったくの初心者のアンタが弾くのは100年早いよっ」なんていう、社会人に対して非礼千万なことを言ったり匂わせたりすることなく、彼女のピアノの道のお手伝いをしているようです(← 本来はそれが「先生」という生業だよ)。

 

とはいっても、最初は、先生がその曲に向けて数か年計画を立てて、それにしたがって違う曲を練習していたそうですが、彼女のモチベーションが下がってきたのを察知したようで、計画を前倒しにして、その難曲のレッスンをスタートさせたそうです。

 

モチベーションが下がってきたことを彼女が意図的に先生に表したのかどうかはわかりませんが、結果的に、彼女は全くの初心者で、フルタイムで働いているにもかかわらず、ピアノを初めて3年たらずで、ロマン派好きならだれでも弾いてみたいと夢みるだろう難曲を、いかにスローであっても、いかにテクニック的にはまだまだであっても、人前で弾き切ったのです。この事実は重い

 

そのうえ彼女は、好きな曲を演奏する(収穫を得る)までにかかる予定だった5~6年の時間と投資を、3年弱に短縮・節約してしまいました。これが事業プロジェクトであれば大変な成功です。フルタイム勤務の会社員だそうで、これが企業人のやり方だと、あっぱれ感心してしまいました。

 

そのロマン派の曲を弾くことを夢見ながらも、言われるままにツェルニーなどを粛々と練習している人たちもいるだろうに、そのプロセスを軽々と飛び越えてしまったのです。 「『それを弾くには数年かかる』とあなたは言うが、それを決めるのは私だ。私は今それを弾く」 彼女はそのようにしたのだと思いました。

 

大人は、「おまえが弾くのは100年早い」という意味のことを別の言葉でやんわり言われてツェルニーソナチネでわずかな余暇を費やしているうちに、環境が変わってピアノを続けられなくなったり、年齢によってはヘタをすれば寿命がきてしまいます

 

そんなことになれば、この世に大きな心残りができてしまいます。人間やはり、やりたいことをやりきって心安らかに最期をむかえたいものです。

 

好きな曲をやると、ちょっとでも上手く弾きたいと思って工夫をしはじめます。実力とのギャップが大きい曲をダメもとでやると、練習に工夫をするようになることが、自分にとってはとてもよいことだなあと思います。

 

いわゆる「上級」と言われている曲の多くは、1オクターブを軽く超えるアルペジオや、和音の連打や、スケールの速弾きがたくさん含まれていると思いますが、このような「上級」テクニックをやるには、体幹を使った動きができていることが必要だと思います。これに対して、「初級~中級」の曲の多くは、体幹からの動きができなくても腕から指先までで何とかなってしまうんじゃないかと思います(私が子どものときはそれで何とかなってしまった)。

 

ここに落とし穴があると感じます。なぜなら、本来は順序が逆で、体幹の動きをマスターすれば、その結果として理想的な腕や手や指の動きや形が自然につくられると思うからです。「初級~中級」で小手先の動きばかり指導されているような場合は、最も重要な体幹の動きへの注意が薄れていって、いつまでたってもも体幹の動きを利用することができなくて「初級~中級」あたりをずっとさまようことになりかねない気がします。

 

それを避けるためにも、自分が弾きたい曲が難曲といわれているものでも、社会人で時間がないんだから、ダメもとでやっちまったほうが、肝心かなめの体幹からの動きをきっちり教えてもらって(あるいは自分で工夫して)練習していれば、ちょっとずつ腕が上がっていくと思います。

 

大人でピアノを始めたりやり直したりする人は、子どもから音大を目指すのとは訳がちがうのだから、子どものプロセスをすっとばして、自分が弾きたいと夢みる曲に直(ちょく)に行ったほうが、この世に悔いが残らないと思います。 死んじゃってから「あの曲をやらせてもらえなかったうらめしゃ~」って先生に化けて出てもはじまりません。 それに、そんなことをしてわかるのは、自分はその先生と同じレベルだった、という悲しくトホホな事実だけです。 生きている間に、悔いのない輝く人生を送ろうと、私は思います。 

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