おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

本物を見分ける方法(続きの続き)

 

以下は、20210927にアメブロに書いた記事:

 

先日から書いているこれらの記事:

本物を見分ける方法(続き)

本物を見分ける方法

 

の続き。

 

本当に「音楽の師」と呼ぶにふさわしい、

本物のミュージシャンを見分ける基準は以下である:

 

① 音楽ビジネスから、常時、演奏の請負い仕事の依頼がある。 

② 音楽ビジネスにおける一流の演奏経歴を持っている。

③ 音大などに教師・教授として雇われている。

④ プロの音楽家や先生を教えている。

⑤ 年齢が40代後半以上。(←つまり、音楽ビジネスで長く生き残っている)

 

上記を煎じ詰めれば、

「B-to-Bの演奏家として第一線で稼働している」

ということである。

 

と書いた。 ①~⑤の詳細は、最初の記事に書いてある。

以下は、⑥~ である:

 

⑥ ツイッターフェイスブックを、仕事の宣伝媒体に使っている

 これらのメディアのほうが、ブログよりも拡散力が高く、リアルタイム性が高いからであろう。

 日常的に行うライブやコンサートや、CD発売の告知を、不特定多数の潜在オーディエンスに向けて発信するには、拡散力が高いメディアが有用だ。

 著名アーティストのコンサートのサポートやレコーディングに参加した記録は、そのまま履歴書になる。

 業界内のプロ同士の情報交換の場にもなっているようである。

 

⑦ ⑥の媒体にアップされる内容が、素人にとって理解不能なものが多い

 機材や実戦的なノウハウや理論の考察のつぶやきや、同僚同士の情報交換の内容は、「プロの音楽」の世界のリアルな出来事であり、「素人音楽のプロ」や素人にとっては何を言っているのかよくわからない内容がある。

 楽器の部品や機材やソフトや音源のこだわりが「プロの音楽」の水準なので、「素人音楽」の住人たちはその内容についていけない。

 「プロ音楽のプロ」は、音楽に関する一般に普及した内容はほとんど書きこまない。 本やネットでちょいと探せばゴマンと見つかるような、素人でも書けるような内容を書き込んでブログの更新をまかなっているのは、「素人音楽のプロ」以下だとすぐわかる。 

 

⑧ 動画の活用がプロ的

 ライブ演奏の動画は、そのミュージシャンの実力をあからさまに語る。 

 ライブ演奏動画は、いまや宣伝用のCD製作よりも安価で速く作製でき、潜在的なクライアントが演奏者の実力を見極めることができる。  

 また、一流のプロの演奏動画に限って、視聴回数が少ない。 一般のシロートがアップした演奏クオリティの低い動画が時にものすごい視聴回数を稼ぎ出しているのと、非常に対照的である。 動画の視聴回数は、演奏者の実力と相関関係が無い。 動画は、映像エンタメコンテンツだからだ。    

 一流のプロのミュージシャンは、ライブのサポートやレコーディングの雇われ仕事が多いので、一般的な知名度が低く、動画の視聴回数は多くないが、彼らが演奏サポートする著名アーティストのライブ動画の視聴回数はものすごいことになっていて、バックでサポート演奏する一流ミュージシャンたちの姿を確認できる。

 

⑨ 「素人音楽のプロ」がとても言えないようなことを、平気で語る 

 上記のような媒体を見ていると、「素人音楽」のお稽古事の世界と「プロ音楽」の音楽業界の現場との間の世界観の違いがわかって、とても興味深い。

 「素人音楽のプロ」 vs 「プロ音楽の一流のプロ」

 「毎日ちゃんと練習をしましょう!」 vs 「子どもの頃から練習が嫌いで、今も練習するのが嫌いです」

 「絶対音感は必要ですよ!絶対音感養成レッスンを受けましょう!」 vs 「自分は相対音感だけで、絶対音感は持っていません」

 「○○を全部覚えましょう!」 vs 「○○を全部覚えようなんてよく言われるけど、2、3個覚えればあとはズラせば同じだから」

 ↑ 確固たる地位を確立した一流だから言える言葉ばかりだ。 一流じゃなかったら、とても恐ろしくて言えないだろう。 もちろん、一流のプロの発言を額面どおりにとる人はいない。 一流のプロは、子どもの頃から「素人音楽のプロたちの世界」の常識をはるかに超えていたから、「プロ音楽」の頂点にいるのだろうし、もしも何かについてちゃんと説明しようとしたら、プロの現場で培ったものすごい情報量と最高水準のシビアな内容になってしまうので、あえて言わないのだろう。 実質的に企業秘密ということだ。

 ほかにも、いつも一緒に仕事をしているミュージシャンをゲストに招いて雑談&演奏をする動画や、オンラインライブのMCトークで、プロの世界のノウハウや考えがうかがえることを言ったりするので、とても興味深い。 

 

⑩ 謙虚。穏やか。偉そうじゃない。上から目線で語らない。

 本物のプロに限って、指導者っぽくない。 本業が演奏家で、指導者ではないからだろう。 また、演奏の実績が認められているから、権威で自分を大きく見せる必要が無いからだろう。 「○○しましょう!」「○○を知っていますか?」みたいな、上から目線の偉そうな掛け声ばかりの先生は、実は大した実力が無いというのが、世の中の相場だ。 

 もうひとつ。 本物のプロは、「余計なお世話」な発言もしない。 「余計なお世話」は、言う方の自己満足に過ぎず、そればかりか、実質的には相手の手を縛り足を引っ張る、迷惑行為だ。

 

⑪ 顔や姿を公開している

 各種メディアに堂々と顔や姿を公開している。 プロのミュージシャンであれば当然のことだ。 不特定多数の人々に対して顔や姿を公開することのリスクを承知の上で、そのような生業を選んだ覚悟を持っている筈だ。 その覚悟が無い人は、「素人の音楽」の世界の住人だ。 「素人音楽の世界」の住人にもかかわらずプロ気取りの人がいるので、無駄にお金を払わないように気をつけたい。 

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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