ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ道楽の日々

大変なことを始めてしまった

 

以下は、20210909にアメブロに書いた記事

 

いやはや大変なことを始めてしまったと、今さらながら思う。 前から思っているが、

ジャズピアノは外国語の習得と一緒だということを、ひしひしと実感するよ。 

1年や2年で話せるようになるには、寝るとき以外は1日中その環境に浸(つ)かっていないと無理だ。 

だから通常はもっともっと長い時間がかかる。 

私の場合は、英語が何とかお金になるまでに何年かかっただろう? そのために費やした労力と時間を思い返すと、二度と繰り返したくないプロセスだよ。 

 

だから、

クラシックピアノの先生がちょっとジャズピアノをかじっただけで、クラシックピアノばかりかジャズピアノまでも教えようと思っただけでも、とんでもないことだよ! 絶対に無理。

 

不思議なんだよね~。 ジャズピアノの先生は、片手間にクラシックピアノを教えようとは思わないのに、

クラシックピアノの先生は、片手間にジャズピアノまでも教えようとするんだよね。 

どうして? 教えられると思っているの? だとしたら、 

クラシックピアノの先生は、

ジャズピアノをナメまくってるよ!

 

「ジャズピアノを習っています」なクラシックピアノの先生がいるようだが、

「私はジャズピアノを習っています」 とは、

「私はジャズピアノ教室の生徒です。 

先生ではないので、

とても人には教えられません!

という意味であり、

一体全体、何のために吹聴しているのか意味不明だ。

 

ところで、ジャズピアノを始める際に、

クラシックピアノのレッスンの経験は、有利にもなるし、不利にもなる

有利なのは、音と鍵盤の位置のヒモ付けができていることと、楽譜を読めること。

不利なのは、クラシック訛(なま)り。 これを矯正するのは至難の業だ!

同じ日本語でも、

関東の人や東北の人が、1年や2年で関西弁を話せるようになると思う?  その逆もまた然りだ。

 

クラシックピアノの経験が有利にも不利にもならないことがある。 つまり、

通常のクラシックピアノのレッスンでは習うに至らなかった側面については、

ピアノ初心者と同じスタートラインに立っている。

実はこの側面こそ、ジャズの特性であり、巨大な壁なのだ、と思う。

 

還暦が見えてきたこの脳でどこまで覚えられるか? と思うと、気が遠くなるよ。 

とはいうものの、ちょっとずつは進んでいるのがわかる。

生きているうちにどこまでできるようになるか皆目わからないけれど続けていくよ。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

大変なことを始めてしまった | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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