以下は、20210907にアメブロに書いた記事:
ここ数日、トランスクライビング(耳コピ)に関する記事を書いている。
私が考える、トランスクライビング(耳コピ)をする際に留意すべきは、下記の点だ:
トランスクライビング(耳コピ)における正解は、存在しない。
である。
「いいえ、正解はありますよ!ほら、この聴音の問題集に書いてある楽譜が正解ですよ!」
ごもっともである。 ついては、
いわゆる「正解」が記譜されている聴音問題集や、もともと楽譜が存在するクラシック音楽や、現代音楽の即興演奏の部分が含まれない作品は、ここでは除外して、話を進める。
つまり、以下の内容は、
元ネタの楽譜が一般には入手不可能であったり、即興演奏の部分が存在する音楽、つまり、
ポップスやロックやメタル、そしてジャズ/フュージョン等のインスト系の音楽にフォーカスする。
(現代音楽における即興演奏については、もはやトランスクライビングする意味があるのかどうかわからないのと、ジャズ/フュージョンとかぶるところもあると思うので、以下では除く。)
そもそも、誰に頼まれてもいないのにどうしてトランスクライビングなんていうシチメンドクサイことをしたくなるのか?というと、
元ネタの楽譜が一般には入手不可能だからである。
「えー? でもかなりたくさんの曲の楽譜が売られていますよ!」
確かにそうだが、 それらの曲の楽譜は、
それらを作曲した本人が実際に書いた楽譜であろうか?
おおかたの場合、
作曲者とは全く赤の他人の、どこかの誰かが、おおもとの音源からトランスクライブ(耳コピ)した楽譜ではなかろうか?
赤の他人によるトランスクリプション(採譜)の場合、その品質にバラツキがある。
彼らの耳コピ能力や、楽譜出版社による「上級用」「中級用」「初級用」のシバりや、「ソロピアノ用」といった演奏楽器のシバリなどで、
原作者の作品とは似ても似つかぬものになっていることが多々ある。
また、このような採譜者による採譜ミスや、校正段階でのミスは、
もとの音源データから誰かがトランスクライビング(採譜)した楽譜には、つきものである。
元の音源データを演奏した本人が「監修」しました!と安心を謳う楽譜でも、疑ってかかるべきである、と、私の経験上思う。 「♯」「♭」「♮」がひとつ違えば、弾いている時にポヨ~ン!と変な音が出てビックリするものだ。 そして、「あれ~? 元の曲のこの部分はこんなヘンテコな響きじゃないよ? あれあれ? あー!もしかして! この「♯」の記号ってホントは「♮」だよ~!」
みたいなことがたび重なるうちに、その楽譜全体に対する信頼度がちょっとずつ落ちていく。
もちろん、そんなタイポは全体の1%もないのだが、そんなタイポがしょっぱなのベースラインのリフにあったり(タイポが繰り返すよ...)、作曲者さんがこだわったであろう、曲中のキメ的なコードにあったりすると、とってもおもしろガッカリなことになる。
音楽で著名な出版社や著名なダウンロードサイトで売られている楽譜ですら、そうなのだから、
聴きとれないよぉぉぅorz...とあまりクヨクヨすることなく、気楽にトランスクライビング(耳コピ)することが肝要であると思う。
聴きとれない所は、出版されている楽譜でも、誰かの演奏動画でも、何でもかんでも見ながら耳コピして、「今日はこのくらいで勘弁してやろうっ!」ぐらいの気持ちで明るくやっていくと、いつの間にか「あれ?聴き取れるようになっているよ!」みたいなことになっているものだ。
楽器演奏や作曲のレッスンを受けている場合は、先生の力を借りればよい。 「この部分がわからないんですけど~」と言って、先生に聴きとってもらえばいいだけのことだ。
とくに昨今は、誰に頼まれたわけでもないのにケンバンの真上から録画した「弾いてみた」動画を上げている親切な人がいるから、動画を静止させて指の位置を有難く勉強させてもらえばよいのだ。
もちろん、これらの参考が、
原作者による原曲を完璧にコピーできているとは、決して思わないことだ。
そもそも、
音楽業界で活躍するプロは、一般ピープルにそうやすやすと完コピされるような音楽は作らない。
素人にすぐマネされてしまっては、プロとしての商業的な価値が無いからだ。
「えー?ポップスなんて、メロディーが単純なものは簡単に完コピできますよ!」
私が意味しているのは、そのメロディーの下や上に響いているハーモニーの部分だ。 単純なメロディーの下や上に鳴っているハーモニーの中にさりげなく仕込まれたアクやエグ味を含めて完璧にトランスクライブできる人は、既に音楽業界でプロになっているであろう。 が、かりにそれらを全て完コピしたとしても、まだ完全にトランスクライブした!とはいえない。 禅問答のようだが、「そうだ!それらだけでは完コピしたとはいえないぞ!」と主張する人たちがいるだろうし、彼らの主張は正しい。
であるからにして、
ネットで無料で手に入る、歌詞にコードがついた類のものも含めて、
トランスクライビング(耳コピ)における正解は、存在しない。
トランスクライビングする際に参考にできる採譜本やコード情報も、100パーセント信頼できるものではない、ということを思いながら、できる範囲で楽しく行うのがよいと思って、私はトランスクライブしている。
tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト
もとの記事@アメブロ:
トランスクライビング(耳コピ)の際に留意すべき点 | おんがくの細道
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
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