ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

「ジャズは死んだ」と言われるが(続き)

 

以下は、20220314にアメブロに書いた記事:

 

前の記事「『ジャズは死んだ』と言われるが...」を書いたあと、

気がついたことがあるよ!

 

それは、

 

私が

「この人聴いててつまんないなぁ」

って思って、すぐ

音源なり動画なりを止めてしまうジャズピアニストさんたちは、

 

同じ音大出身だった!

 

という事実だ。

 

でもね、全員がそうというわけでは、ないんだ。

私が「この人はスゴイっ!」と驚嘆する、

唯一無二の世界観でジャズのフロンティアを攻め続けている、

孤高のピアニストさんも、その音大を出ているんだ。

 

だから、

その音大を出た人の皆が皆、

私にとってつまらない音楽に聞こえる人たちでは、

ないんだ!

 

であれば、

何が、

私にとって「つまらなく聞こえるピアニスト」と、

私にとって「この人はスゴイ!」なピアニストを、分ける、

分水嶺になっているのだろうか?

 

それは、おそらく、

「オレ/アタシが、音楽の中心だ!」

という、

不遜なほどの自信と、

そう思うだけの、退路を断った

ケツまくった覚悟と矜持を

持っているか、いないか、

なのかもしれない。

 

このあたりに、

「死んだ音楽」の定義も漂ってくるんだ。

 

つまり、

「本家の先生に「たいへんよくできました🌸」をもらって

 本家から見た「優等生」でありつづけることが、

 人生の生きるか死ぬかの目標なんです!

 私は、自分のルーツ的に、

 ノリが悪くてリズム音痴の、

 劣った国の人間なのです。 だから、

 自分のルーツを否定して、殺して、

 本家の先生方の忠実で完璧なコピーとなるように、

 悲壮な覚悟で練習しています!  でも、

 まだまだ先生方の忠実で完璧なコピーになれていません。

 だから、もっともっと練習します!

 どうですか? 「たいへんよくできました🌸」を頂けますか?

 まだまだですか? はい、わかりました。

 もっともっと頑張って、もっともっと、もっともっと練習して、

 先生方の忠実で完璧なコピーになります!

 どうですか、まだダメですか? はい、わかりました。

 もっともっと、もっともっと、頑張って、

 もっともっと、もっともっと、もっともっと練習して、

 もっともっと、もっともっと、もっともっと、もっともっと...........星空

 (以下略)」

な人たちと、

「本家から「よくできました🌸」をもらいたいか?って? 

 いらねーよ! 

 もちろん、その学校でいろいろ学んだけど、

 俺/アタシは、日本人だから、

 本家の猿真似したって、無意味でしょ? ていうか、

 本家の猿真似したって、何の価値もないでしょ。

 本家がちゃんといるんだから。

 だから、

 自分の国の固有の音や和声やリズムやグルーヴ感を

 ナチュラルにフィーチャーした、

 日本人の、日本人による、日本人のための音楽を

 ここ日本に根を張って、ガッツリ追求していくよ!

 もう21世紀も20年以上も経ってるんだからね、

 舶来ものを有難がってコピーするだけなんて、明治時代でしょ!

 100歩ゆずって昭和までだよ。

 日本人の音楽は、

 外からいろいろな「使える」ものを、

 縄文以来の日本の大文化鍋にどんどん放り込んで、

 先史時代から連綿と続く日本人のDNAのスープの中で

 熟成統合炸裂させていくに決まってんでしょ!」

な人たちの、

違いなんだろうね。

 

とても不思議なことに、

音楽に限らず、

ファッションでも芸術でも、文学でも、

 

日本人の、日本人による、日本人のための

大衆向けの、ある意味「下世話な」文化芸術コンテンツが、

グローバルに見ても、最強なんだ。

 

「下世話」とは、

日本の大衆文化の底に澱(おり)のように溜まって

ふつふつと強い匂いを放っている日本人のオリジナリティが

濃厚に炸裂してること。

だから、

日本からしか生まれない唯一無二の日本オリジナルコンテンツは、

呪力がすざまじいんだよ。

「下世話」イコール「傾(かぶ)いている」だろうね。

歌舞伎、落語、鳥獣戯画

日本の国宝は「傾(かぶ)いている」ものだらけだ。

いずれ、日本の漫画/アニメや大衆音楽からも国宝が出るだろう。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむ風流への道を歩くピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

「ジャズは死んだ」と言われるが(続き) | おんがくの細道

 

 

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。