以下は、20210821にアメブロに書いた記事:
もはや「練習」ではないが、
ピアノを再開して5年経って、ようやく、「練習」というよりも、何でしょうか? 日々の試行錯誤がまともにできる土台ができてきたよ。
子どもの頃や、英語の上達方法や、英文会計の勉強を始めた頃や、なによりも日本を母国に生まれ育って日本語を母国語に話して社会人として生きてきた今までの人生を振り返り、思いを巡らして、なにが必要だったかを考えながら、
音楽にどうしても必要なことを、ぽつりぽつり、続けてきたね。
それを始めたのは3年前だったかな。
これが覚えられないんだよ、全然。
半世紀以上生きてきたからね、脳も覚えられなくなってきたし、
覚えられなくてほんとうにやんなっちゃう2年間を何とか続けて、
去年あたりからようやく定着してきた。
そして、去年からは、それを別の角度からみたものを、始めたよ。
これがまた覚えられないんだ!もう悲しいくらい!
でもね、偉大なる先人の方々が残した言葉で、気が楽になった。
みなさんもそうだったみたいだと知って、勇気づけられて続けてこられたんだね。
裾野をできるだけ広く積み上げようとしたことも、進むペースが遅い原因だったかもね。
でも、そのほうが、後になって楽だろうからと、そうしました。
そのためには、ピアノよりも、他の楽器のやり方を参考にしました。
他の楽器のほうが、覚える裾野が広いことを知ったからね。
(ちまたのピアノのお稽古は、狭いよ、狭すぎる)
そのように続けてきて、今、わかったことは、
結局のところ、そんなにたくさん覚えなくてもよかったかもしれない、ということです。
でもね、
それだけ覚えるのと、
たくさん覚えたなかから、結晶になったそれを見つけ出すのと、
ぜんぜん違うと思うんだよね。
先生から言われるままに単にそれだけ覚えても、
それが結晶になったものかどうか、自分のハラワタでわかりようがないからね。
やっとスタート地点に立っただけですが、
基本的なことには、ちゃんと上限があると、わかっているから、
少しずつ埋めていこうと思います。
ようやく楽になりました。
ようやく、楽に苦労ができるようになりました。
tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト
もとの記事@アメブロ:
ようやく練習らしきものができるようになってきた | おんがくの細道
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
tokyotoad