ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

スゴいベーシスト

 

以下は、20210827にアメブロに書いた記事

 

ベーシストは本当に重要な役どころだと思う。

私が「この人はスゴイ!」と一方的に思っているベーシストは5人いる。

うち4人が日本人、1人がアメリカ人だ。

 

4人の日本人ベーシストのうち3人は、今も活動を続ける伝説的な日本のインストバンドの在籍/出身者だ。 

なんといっても、3人とも人柄が明るい。 リズムセクションが明るい人柄の人だと、バンド全体の音楽が良い雰囲気になって、聴く方も楽しめる。

 

そして、3人ともアドリブがものスゴイ! 曲のしょっぱなからいきなり魅惑のベースソロで、お客さんの耳をクギづけにする。 低音楽器を全く感じさせない、躍動感あふれるメロディアスでドラマチックなベースソロを展開する。

また、他の上もの系楽器がソロをとっているときも、動きのあるベースラインを奏でて、良い意味で上もの楽器を煽(あお)り囃(はや)すエクセレントジョブを連発。 バンドの音楽が盛り上がらないはずがない。

 

もう一人の日本人ベーシストさんは上記の3人より若い(40歳前後?)が、この人も、ベースラインがグルーヴィーに躍動して、上もの楽器プレーヤーをノセる演奏をする。 

 

ベーシストがバンドの演奏の質を左右するといっても過言ではないことが、上記の人たちの演奏を聴くと、ほんとうに良くわかる。 

 

一方で、アメリカの某人気ユーチューバー/ジャズベーシストさんが、「ライブでベースソロになるとお客さんたちが『ベースソロがはじまったからトイレに行こう』となり、ベースソロの時間は客のトイレタイムになる」と言っていたが、

正直申し上げて、この人、ベースの演奏よりも、インテリ音楽ユーチューバーのほうが全然合っているよ。 

だって、自分から「ベースソロはトイレタイム」って言っちゃうのは、ベーシストとしてはホープレス。

自分の演奏する楽器を蔑(さげす)むことは、楽器演奏者としての自分の存在を否定しちゃうことだからね。

 

上記の4人の日本人ベーシストさんたちのソロタイムは、ぜんぜんトイレタイムどころじゃない。 聴かなきゃチケット代を損する。 万が一にもトイレに立ったら一生の不覚。

 

ところで、

日本人の一流ベーシストは、メロディアスで情感あふれるベースを弾くように感じるのは私だけ? 

日本人は、日本の伝統的なエモーショナルな謡(うたい)のDNAを受け継いでいるからなのか? 

日本の伝統的な竿もの楽器の三味線の、義太夫浄瑠璃の伴奏の芸風を知らずと受け継いでいるからなのか?

であれば、それが日本人ベーシストの絶対的で圧倒的な強みではないか!

 

もう一人、私がスゴイ!と思っているのは、アメリカ人のベーシストでNYの至宝の一人。 アフリカの精霊たちの念をチャネリングするような、呪術性に満ちた、誰にもマネできない、鬼気迫る圧倒的なベース演奏を披露する。 

音楽の「楽」の「白」は、人の頭蓋骨を意味するという。 黄河文明を築いた商の人々(漢民族からは「殷」という侮蔑的な名前で呼ばれた)が生み出した文字が、いわゆる漢字だ(というけど、本来は商字だ!)。 

「楽」という字は、木の枝に引っ掛けたシャレコウベを叩いて音を出した儀式に由来する。

本来、音楽とは、生と性と死の三つどもえのダンスから紡ぎ出される、音の呪術だ。 コンサートホールでおちょぼ口で気取ってたしなむような、体温の低い去勢されたものではない。 

音楽が本来持つ神通力を、無意識の淵から呼び覚ます、まさにシャーマン。 重鎮のベーシストである。 

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

スゴいベーシスト | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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