ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ジャズピアノまで教えようと欲張る偽物クラシックピアノ教師

 

以下は、20210827にアメブロに書いた記事

 

怖い、怖いよ~! 

クラシックピアノの先生たちの中に、

クラシックピアノ一辺倒で来たくせに、

ジャズっぽいフレーズをくっつけただけで「ジャズピアノも教えています」って堂々と謳って、お金をとっちゃう、

なんちゃって先生たちがいるんだね~(恐怖)! 

ズルイな~! 欲張りだな~!

一部のクラシックピアノの先生たちのなりふりかまわぬさ加減って感動的ですらあるよ。

 (私が子どもの頃にならった先生も、今から思えばスゴかったよ)

そういうイカサマ先生に教わった子どもたちが、「私はジャズが弾ける!」って勘違いしちゃう。 

そしていつか真実を知った時に、落胆するだろうね。

 

本物のジャズピアノの先生は、

ジャズ理論をマスターしていて、

楽譜がなくても

ジャズ文法に則って

アドリブで延々と即興演奏できる人たちだけなのにね。

だから、リードシートじゃなくて

二段の楽譜を見ながらしか弾けない先生は、正真正銘のニセモノ。

 (↑これが、本物のジャズピアノの先生と、ニセモノのイカサマ教師を判別する、わかりやす過ぎるリトマス試験紙だ)

 

ジャズ文法をマトモに研究も、体得もしていないのに、

「ジャズも教えます」という、この大胆不敵さというか、獰猛な欲張りぶりには、もはや呆れるを通り越して、恐れ入るよ(心がそうだから存在もさぞかし獰猛なんだろうね)。

 

なんでマトモに研究していないってわかるのか?

だって、マトモに研究&体得していたら、

ジャズピアノ専門の先生になっていたに違いないから。

 

ジャズをマスターするアプローチは、クラシックのそれとは、別世界だ。

ジャズのアプローチは、

クラシックで最も重要視される物事を否定することから、始まる。  

また、

ジャズを一言で言えば、ジャズ音楽語のプロフィシェンシーだ。

日本人のあなたが日本語のプロフィシェンシーを獲得するのに、日本語環境に生まれ育っていったい何年かかったか?

と同じこと。 言い換えれば、

第一外国語の英語のプロフィシェンシーを獲得したいと思って、いったい何年かかっているのか!?

それくらい人生の時間を投資しないと、人様にマトモに教えられないもの。

 

だから私は、

「クラシックピアノ専門ですがジャズも教えます」と謳う先生は、もうそれだけでニセモノだと思っている。

どっかのブログやサイトからコソドロみたいにクスネてきた言葉尻や薄っぺらな情報で

上っ面だけコピペでとっ付けたような代物は、ハリボテのように、

そよ風程度で、面白いようにまたたく間にビリビリと破れ去る。

それにね、別に音楽に限ったことじゃなくて、世の中、どんなことも、

付け焼き刃の借り物じゃ、絶対に上手くいかないんだよ。

 

怖いのは、

ニセモノに習うと、自分もニセモノになってしまうこと。

そして、

ひとたびニセモノのクセがつくと、それを払しょくするのが絶望的に大変。

「こんなことになるなら最初から本物の先生に習っておけばよかった!って、

あとあとロクなことにならない。 だから、

私は本物しか信用しないし、うさん臭いものには絶対に近づかない。

人生には限りがある。

ニセモノにかまうのは、有限な人生の時間の浪費である。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

ジャズピアノまで教えようと欲張る偽物クラシックピアノ教師 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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