おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

本物を見分ける方法(続き)

 

以下は、20010918にアメブロに書いた記事

 

昨日書いた記事:

本物を見分ける方法 - おんがくの彼岸(ひがん)

 

の続き。

 

昨日の記事で書いた、私が考える、

本当に「師」と呼ばれるにふさわしい、

本物のミュージシャンを見分ける基準は以下である:

 

① 音楽ビジネスから、常時、演奏の請負い仕事の依頼がある。 

② 音楽ビジネスにおける一流の演奏経歴を持っている。

③ 音大などに教師・教授として雇われている。

④ プロの音楽家や先生を教えている。

⑤ 年齢が40代後半以上。(←つまり、音楽ビジネスで長く生き残っている)

 

上記を煎じ詰めれば、

「B-to-Bの演奏家として第一線で稼働している」

ということである。

 

この、

「B-to-B」が、肝心どころである。

つまり、通常、

音楽ビジネス(B)から仕事を請け負って、

音楽ビジネス(B)から報酬を得ている

という存在が、本物の存在である。

通常の仕事のクライアントが音楽業界の企業(B)である点である。

 

決して、

「B-to-C」ではない。 いわんや、

実質的な「C-to-C」は、論外である。

 

音楽業界に限らず、

事業者(B)は、最も優良なクライアントである。

報酬を確実に支払ってくれる可能性が高いからである。

 

これに対して、

消費者(C)から直接お金をもらう仕事には、

様々なリスクが伴う。

消費者(C)の購買判断は、彼らの気分次第である。

また、お金を支払わない者がいたり、

理不尽な要求をしてきたり、

愛人候補探しのオヤジやオババや、妄想にかられた男性ファンや、

思いつめて何をしでかすかわからないような女性ファンなどを、

あしらう必要性があったり。

つまり、

消費者(C)は、ハイリスクで信用が乏しいクライアントである。

 

音楽業界ではないが、私は

一度だけ消費者(C)から仕事を請け負ったことがある。

納期までに成果物を送り、追って請求書を送ったが、

支払われなかった。 

知人の親類からの依頼であり、知人を通して催促もしたが、

結局うやむやにされてしまった。

以来、私は

企業(B)相手の仕事しかしなくなった。

 

もうひとつ、重要なポイントがある:

クライアントが企業(B)の場合は、

依頼される仕事は、ガチの仕事である。

 

「仕事なんだからガチなのは当たり前だろっ!」

 

そう、当たり前だ。 

世の中、

仕事はガチなのが、当然である。

 

だが、音楽などの芸能活動では、

このあたりが曖昧な場合がある。

 

たとえば、私が自分のコンサートを開催しようと思い立ったとする。

「そんな荒唐無稽な!」

いや、荒唐無稽でも無茶でも何でもない。

私は、難なく自分のコンサートを開けるのだ。

お金さえ有れば。 あるいは、お金を払ってくれる

スポンサー(=パトロン)さえいれば。

郵便貯金ホールでもなんでも、借り切って、

親戚縁者や友人知人や義理で断れない人たちを総動員して席を埋めて、

いや、席がスカスカでも、

客が一人もいなくても、

空っぽのコンサートホールで、

文字通りのワンマンコンサートを開催できるのだ。

コンサートホールやライブハウスは、場所貸しビジネスだから、

お金を払ってくれる人には、喜んで場所を貸す。

ピアノの発表会をはじめ、素人の発表会に場所を貸す施設はゴマンとある。

 

この場合、私は、

エンタメ音楽ビジネスの最終顧客、消費者(C)だ。

私の私的な興業は、「持ち出し」だからだ。

収支が赤字だからだ。

 

赤字の垂れ流しは、

プロがやることではない。

(実質的に)お金を払って行う興行は、

素人の趣味道楽だ。

 

 

自分主催のコンサートを黒字で開催するのは、

一流のプロでも難しいだろう。

音楽業界(B)からコンスタントに仕事を請け負って稼いだお金で、

サイドマンを雇ってコンサートを自主開催し、収支がトントンの場合が多いだろう。

 

しかしながら、

「自称プロ」や「心意気だけプロ」の音楽家の中には、

この種の自主興行しか行わない人も多いのではなかろうか。 

いや、もっと正確に言えば、

この種の自主興行しか行わなくても平気で「音楽家」を続けていられる人も多いのではなかろうか。

 

中には、落語の「寝床」に出てくる旦那のように、

義理があって断れない人たちに有形無形の圧力をかけて強制動員して、

パワハラまがいの自主興行コンサートを成り立たせる「自称プロ音楽家」もいるだろう。

 

父親や配偶者が経営する会社の社員や下請け業者と彼らの家族、

もともと小作農だった地元の人たちとその家族、

生徒とその保護者などを総動員した、

いわゆる「身内」の、しかも「義理あって断れない立場の人たち」を

実質上強制的に動員するコンサートは、「エンタメ興行」ではなく、

「社交」や「お付き合い」であり、

本来プロがやることでは、ない。

エンタメ本来の「自分が好きなコンテンツを楽しんで、その対価を支払う」が不在だからだ。

 

上記の理由から、

音楽業界(B)からコンスタントに請負仕事を依頼されて、

音楽業界(B)からコンスタントに報酬を得ているミュージシャンが、

本物のプロの演奏家であると、私は認識している。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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