ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ゴミコンテンツが増えてきたネット界

以下は、20211201にアメブロに書いた記事:

 

ここ数年、ブログや動画などに、

役に立たないコンテンツが

急速に増えてきたと感じる。

 

理由は、

ブログでは、

アフィリエイトなどの宣伝目的のものが増えたからだろう。

動画では、

収益を得るためのコンテンツが増えたからだろう。

 

どちらの世界とも、

安易なカネ稼ぎ目当てのシロートに加えて、

自称プロが増殖したからだ、と思う。

 

5年前に、音楽関係の動画を見始めた時のほうが、

質の高いコンテンツをはるかに見つけやすかった、と感じる。

今は、「おすすめ動画」に

すすめてもらう必要のないものばかりが引っかかってきて、

正直ウザい。

だからもう、

質の高い、限られた人たちの動画しか視なくなった

 

というか、

質の高い、限られた人たちの過去の動画しか視なくなった。

なぜなら、

質の高い、限られた人たちでさえ、ネタ切れするからである。

 

音楽教育に関するコンテンツ、 たとえば、

音楽理論や、楽器の奏法は、

ある程度まで深く掘り下げたら、おしまいになるからである。

「おしまい」の先には、教えることは特に何も無いからである。

 

だから、

最初のうちはハイペースで有益なコンテンツをアップしていても、

そのコンテンツをすべて放出してしまうと、

もうアップするコンテンツが無くなってしまう。

 

動画主なりブログ主なりが、

自分の中のコンテンツを出し尽くしてしまって

あとは大して何も残っていない「終わった」状態になったのを知るのは

しごく簡単である。

彼らが精神論に関するコンテンツを上げ始めた時が、

その時であることが、とても多い、という印象を私は持っている。

「自信をつけるには」

といった、ふわふわした精神論的な内容をアップし始めたら、

その人は理論や具体的なノウハウを放出し尽してしまったと見て良い。

ひどい場合は

「ピアノのモチベーションをアップするには」

なんてのもある。

知るか!そんなもん。

モチベーションが出なければ、

やらなきゃいい。 それだけのことだ。

モチベーションが出ないのは、

本人にやる気が無いからでしょ?

世の中には、ピアノ以外にも、

様々な楽器や、様々な趣味道楽がゴマンとある。

モチベーションが出なければ、

やらなきゃいいだけの話だ。

他の趣味道楽でもやればいいだけの話だ。

余計なお世話だよ!

ゴミコンテンツの典型である。

  

   上記は、音楽教育や楽器演奏レッスンのコンテンツの話である。

   一流のプロの演奏家は、

   自分の求道の結果としての本人による演奏動画を

   どんどん上げることができるから、

   コンテンツに事欠かないので、

   飽きられることが少ないし、

   そもそも

   一流のプロの演奏家による演奏動画は、

   音楽業界向けに

   彼らの作編曲/即興演奏のスキルを宣伝するための意味合いが大きく、

   動画すなわち、彼らの履歴書&宣伝用実演コンテンツである。

 

 

実際のところ、

音楽教育や楽器演奏レッスン系の動画やブログのコンテンツは、

エンターテインメントの意味合いが強い。

見る人読む人が、それらを視聴したり読んだりして、

ひと時楽しむためのものだ。

だから、

「これを一日5分やれば必ず上達!」

「プロの誰もが行っていることは?」

みたいな表題にひっかかって、

ひとしきり視聴して、

「ふ~ん、」と思って、

結局やらないのだ。

 

実は、

本当に実践すると良いことは、

目の前に在るのだ。

目の前に在るのに、

見えないのだ。 いや、

見ようとしないのだ。

 

なぜなら、

本当に実践すると良いことは、

あまりにもわかりきったことで、

地味でシチメンドクサくて、

楽しいエンタメコンテンツにならないからだ。

 

私が自分のブログで

音楽やケンバンに関して自分が行っていることを

「これ」とか「いろは」の「い」という表現で書く理由のひとつは、これである。

わかる人には、わかるし、

わからない人には、わからない。

わからない人は、わからないのではなく、

見ようとしないから、認めたくないから、

わからないだけなのだ。

だから、「りんご」とか「みかん」と書いても、同じなのだ。

もうひとつ、

私にとっての「これ」や「いろは」の「い」と、

読む人にとって「これ」や「いろは」の「い」は、

違うからだ。

チックコリアの言葉:

If you want to play fast, practice slow... a lot!

は、

読む人によって恐ろしく意味合いが違ってくる。

ということだ。

このブログは私のブログだ。

私がわかればよいのであって、

他の人がどのようにとろうが、

私には関係ないのだ。

他の人は、私ではないので、

私の理解と100%同じ理解をするはずがないし、

同じ理解をする必要も全くない。

どちらが正しいとか間違っているとか、

そういうことではない。

結局、一人一人は異なっていて、

物事のとらえ方も、人それぞれなのだ。

私のブログの内容がゴミに見える人もたくさんいるだろうが、

私のブログの内容は、私にとっては宝だ。

ただそれだけのことだ。

 

それから、

冒頭の部分で、

「おしまい」の先には、教えることは特に何も無いからである。

と書いたが、

いやそうではなく、

「おしまい」の先からが、本当の芸の道なのである。

芸能・芸術の道は、道なき道だ。

誰かに教え導いてもらうものでは、ない。

ひととおりの理論やノウハウを得た後は、

一人一人が自分と芸とに向き合って

「山に籠って just do it。」 のステージになる。

 

その時に指針になる存在は、

私の方を向いて手をパンパン叩きながら「○○を知っていますか?○○は必要ですよ!○○をちゃんと練習していますか?」とキャンキャン叫んでいる者たちでは、絶対にない

使い古された、とおり一辺倒の内容ばかりを、さも「有難い教えであーる!」と上から目線で吹聴してばかりで、

はっきり言って余計なお世話だ! そしてウザイ!

 

芸の道の歩みの指針になる存在は、

私のことなんか見向きもせずに、

私の目の前を、あるいは遥か前方を、私に背を向けて、

永遠に続く芸の道の彼岸を目指して黙々と歩み続けている、

一流のプロおよび一流の素人さんたちといった、

偉大なる先達さんたちの背中だけである

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

tokyotoad