ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ道楽の日々

姿勢は教えられるものではない

 

以下は、20210821にアメブロに書いた記事

 

姿勢は人に教えられるものではないと、しみじみ感じる。

理由は、教える際には必ず言葉が必要で、

言葉は、それを話す人、それを聞く人ごとに、認識が違うからだ。

 

「背筋を伸ばして」という言葉は、AさんとBさんにとっては全く違った内容になる。

AさんとBさんでは、言語認識も、身体の骨格や筋力や柔軟性の違も、それぞれ異なるからだ。

 

往年の名だたる身体操作の創始者たちが名著を残しているし、現役の人たちも良書を出しているが、

読む人によって理解の度合いが異なるのは当然だ。 アウトプット側の書く人の主観と、インプット側の読む人の主観が入るからだ。

 

私は、「この人は!」と思う身体操作の創始者たちの本を何冊も読んだ。 もう古書でしか手に入らない名著も手に入れた。 

みなさん、だいたい同じところに行きついて、それを、それぞれの視点とボキャブラリーで論じている。

そのあたりに、真実がありそうだ。

その真実は、言葉では認識できない。 自ら試行錯誤を続けるうちに感覚で会得するしか方法はない、と思う。

 

姿勢や身体操作を言葉による指導だけで教えられると考えている人は、それだけで胡散臭い。 私はそのような人たちを信用しない。

ピアノ教室でもなんでもそうだが、教える人が実際に出来ないことを言葉を使って生徒に指導する行為ほど、インチキ臭いものはない。

 

創始者が他界した後、数十万円、ときには数百万円の研修によってトレーナーを育成するようなビジネスモデルの流派も、信用しない。 研修を受けたトレーナーさんたちは、創始者本人ではないからである。 このビジネスモデルの最終消費者は、研修を受けてトレーナーになってお金を稼げればいいなぁと夢見る素人さんたちだから。

 

創始者が存命していて上記のような研修・検定システムが存在する場合は、トレーナー研修制度にお金を払って創始者本人から直接習う方が良いと思う。 ただし、システムが大きくなると、創始者本人から直接学ぶまでにいろいろな関門ができるだろうし、創始者を神格化するような雰囲気が生まれて、ちょっと宗教がかってくる。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

姿勢は教えられるものではない | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

tokyotoad