ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ道楽の日々

トランスクライビング(耳コピ)はインク筆記具で

 

以下は、20211014にアメブロに書いた記事:

 

以前書いた記事:

トランスクライビング(耳コピ)で一番重要なコツ

 

は、本当にそうなのだ。

のちのち本当に重要なコツなのである。

それを、日々痛感している。

 

今日も、

おととしあたりにトランスクライブした、とある曲を

久しぶりに弾いてみようと、

ノートを広げたら、

 

もう、音符がうっすらと霞んでしまって、

見えづらいことこの上ない。

 

老眼や白内障など、眼の老化現象がはじまっているので、

エンピツで記録した譜面やコード進行は、色が薄くて見えづらい。

そのうえ、

譜面を開いたり演奏中に書きこんだり放り投げたりしている間に

エンピツの粉がだんだんと散っていって、

時間が経つにつれて音符や文字がどんどん霞んでしまって

さらに見えづらくなってしまうのだ。

 

だから今日は、

トランスクライビングのノートの鉛筆書きの箇所を

ボールペンでなぞって上書きしていたが、

ノートだけで10冊ぐらいあるので、とても一日では終わらない...えーん

ボールペン上書きの作業は途方もない時間を食ってしまう。

 

子どもの頃に、なんちゃってソナタユーミンのニセ物みたいな曲を作曲した際のノートなんて、

エンピツの筆跡がかすみまくっていて、

ほんとうにうすぼんやりとしか見えない ぼけー

駄作ばかりなので今さら弾くこともないが、

年月が経つと、それほどまでに見えなくなってしまう。

 

だから、ボールペンやサインペンなどで記録するか、

楽譜製作ソフトを利用してデータ化する、

といった方法が望ましいと、本当に思う。

 

最近のトランスクリプションは、ボールペンや油性ペンで清書しているので、

このような「霞んで見えない」ストレスは、無い。

最初からそうすればよかったと、つくづく思う。

 

もちろん、理想的には、

トランスクライビング(耳コピ)を紙や楽譜製作ソフトに記録しないに越したことはない。 つまり、

聴きながら脳に直接記憶すれば、こんな手間は要らない。

だが、

ふつうの人間は、録音レコーダーじゃないから、

聴いた音を瞬時に、すべての音を一音も漏らさずに脳に記憶することは不可能だし、

いったん記憶できても、時とともに忘れてしまうものである。

私の場合は、シンプルなコード展開の曲であれば、

何度か聴けば、メロディとメインのベース音とコードは、だいたい記憶できるが、

寄る年波に記憶力も落ちてきたし、

凝ったコード進行の曲の場合や、複雑なベースラインやアドリブのソロ演奏などのディテールを含めてできるだけ完コピしたい場合は、やはり紙や楽譜製作ソフトに記録しておきたいと思う。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

ameblo.jp

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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