ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

耳コピというか「思い出しコピー」(テレビ特撮ヒーローもの劇伴)

 

また思い立って、子どもの頃に衝撃を受けた音楽を「思い出しコピー」してみた。 

この曲は、2年くらい前に動画から耳コピしてコードを紙に書き留めたんだけど、その紙がどこにいっちゃったのか、ある場所はたぶんわかるんだけど探すのが面倒だから記憶から思い起してコードをアウトプットしてみた。 アウトプット時は半音上のキーだったけど(歳のせいか絶対音感がボヤケちゃった代わりに、子供の頃から欲しかった脳内カポ(相対音感)を獲得しました!)、あとで動画を見てキーを確認して、以下はオリジナルキー(Dm)で書きました:

 キー:Dm

【Aパート】  

 Dm            Dm            Dm            Dm           

 Dm            Dm            Am            Am

 Ebm          Ebm           Ebm          Ebm           

 Ebm          Ebm           Bbm          A7

 

【Bパート】  

 Dm            Dm            Gmaj            Cm(maj7)     

 Fmaj          Bbm(maj7)         Ebmaj        A7     

 Dm            Dm            Dm            Dm  ⇒【A】にもどる

 

思い出しアウトプットした際に、Aパートの最初から弾いていったら、Bパートの最後でホームキーじゃないキーに戻ってきてしまったので(トホホ...orz...)、Aパート最後のBbm  A7のモーダルインターチェンジの共通音をとっかかりに、ようやくAパート内の半音モジュレーションをつきとめた。 耳がいい人、というか、こういう音楽に慣れている人は、音楽を聞いただけですぐわかるんだろうけど、私はそこまで耳が良くないのと、子供の頃のクラシックピアノのお稽古の呪いがまだ完全に解けていないので、あやふやなところは逆算して推理する必要がある。 どうしてホームキーに戻ってこられなくなったかと言うと、さいしょ【Aパート】の Am を Fm と思ってそのままずーっとFmのキーで【Bパート】が終わるまでいっちゃったからなんだよね...だから【Bパート】が終わった時点でキーがFmになっちゃった、そしてそのまま【A⇒B】を繰り返すたびにキーがマイナー3rdずつ上がって行っちゃったんだ...orz...。【Bパート】に入る時点でDmのキーに戻ってきていないといけなかったんだ!と思って、【Bパート】の最後でキーがDmにもどるように逆算して試行錯誤して Am ⇒ Ebm をつきとめた。 嗚呼!そこに私のようなド素人とプロの作曲家の絶望的な違いがあるよ...。 

そのAパートのキモである Ebm のコードだが、もしかするともっと複雑なハーモニーに聞こえるよ、でも、私にはよく聞き取れない。 メロディから判断するとセオリー的にはEbmだが、男性コーラスの皆さんのパートに、なんというか浮遊感があってメジャー的にも聞こえるんだけど、それが、音源の古さによるものなのか、作曲家の先生が意図的に曖昧模糊(あいまいもこ)なハーモニーに聞こえるようにしたのか、当時の全パート一発録りのレコーディング過程でいろいろな音が鳴り混ざって自然にそういう幽玄微妙な響きが生まれたのか、わからない。 まあいいや、セオリー的にはEbmだ。 こういうところが、聴音練習みたいな教師用のアンチョコなんて存在しない、実際の音楽作品の耳コピ(トランスクライビング)の難しいところであると同時に、プロが作曲した実際の作品から学べる醍醐味だ(だいたい、教師なのにアンチョコ使うってズルい!そもそもアンチョコを使わなければ教えられない教師は教師なのかいな?インチキだ!インチキだから、自分に自信が無くてアンチョコ見ながら空イバリして、生徒に対して高圧的な態度をとって自分を大きく見せようとするんだ)。  

【Bパート】の「Cm(maj7)」「Bbm(maj7) 」(マイナーメイジャー)は、クラシック音楽ではご法度のコードだ。 どうしてクラシック音楽では禁じ手なのか、理由を知りたい人は、クラシックピアノの先生に質問してみよう(←「クラシック音楽のプロ」が基礎的な音楽の知識があるかどうかのリトマス試験になる。このくだりを読んでやにわ楽典などを引っ張り出して調べ始めなきゃならない先生は、音楽を教える知識が無いとみていい。本を引っ張り出して時間かけて調べることなんざ、トーシロにもできる。「先生」なら即座に答えられないとね)。 このコードは、クラシック音楽においては、ごく稀にしか使われたことがない、例外中の例外、つまり際物(キワモノ)コードだ。 それが、この音楽が使われるシーンにマッチした凄惨な緊迫感を醸し出しながら何の違和感もなく進行するこの音楽は、音楽の進化を反映している。 

つまり、この音楽が使われていた、1970年代のテレビ特撮ヒーロー番組を食い入るように見ていたちびっ子たちは、クラシック音楽から大幅に進化した当時の最先端の音楽を聞いていたということだ。 

当時小学生だった私は、このヒーロー番組でこの音楽が流れると、テレビ(のスピーカー)にくぎ付けになって、なんとかこの曲の和声進行を解明しようと必死に耳をすましていたけど、ついぞ解明できなかったのだ。 当時すでにピアノを7年も習っていたのに...。 どうして私がくぎ付けになったかというと、それまでに聞いたこともない、自分の脳が理解できない類の音楽だったからなんだよ。 「わからない!何度聞いても、どうしてもわからない!」って全身を耳にしながらフラストレーションがものすごくたまったから、ひときわ強く印象に残っているのだ。 それくらい衝撃的だったし、この音楽が使われるシーンにピッタリの、素晴らしい音楽だ。 それを実証するように、「この曲は、その後のこの特撮ヒーローものの歴代の番組の同様のシーンで使われる音楽の原型になった」ということを、ウィキで知ったよ。 やっぱりね、私だけじゃなかったんだ! この音楽は、当時の子どもたちに、大きな衝撃を与えた名曲だったんだ! その名曲を、半世紀近くの年月を経て、ついに思い出しコピーできるようになったことが、嬉しくてたまらない! 人生半世紀生きてから自分で細々と独学を始めて、今も続けている、その成果を、かみしめている。

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた(←諦めて命拾いした!と、今しみじみ振り返って背筋がゾッとしている)、「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。