ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

音感がマシになってきた

 

以下は、20210911にアメブロに書いた記事

 

ピアノを再開した5年前に比べて、音感がマシになってきた。

 

35年ぶりにピアノを再開した当初は、お粗末な程度の絶対音感が半音~全音ズレてしまっていて、

子どもの頃なら曲を聞いたらすぐにわかったキーが、ぜんぜんわからなくなってしまっていた。

 

そこで、

パソコンに入れているポップスを次から次へと聴いてキーを当てるという悲愴な訓練を自分に課して、全戦全敗状態だった。

 

あまりにもできないので、もうヤダ...えーん!と思っていたら、「絶対音感は50歳を過ぎると狂い始める」という説を、とある信頼できる人の動画で見たので、それからあまり気にしなくなった。

 

その人が、相対音感だけを持っていた歴史上の大作曲家や大ミュージシャンたちの名前を列挙していたので、ますます気にしなくなった。

 

最近は、日本の超一流の某ミュージシャンが動画で「自分は相対音感しかないんですよね~」と明るく語るのを聞いて、全く気にしなくなった。  この人が相対音感だけなら人類は相対音感だけで全く問題ナシ!

 

独学でいろいろやっていたら、相対音感が育ってきて、まだ間違えるけど、だいぶいい感じになってきた。

そしたら、最近は、耳にした曲のキーが当たるようになってきた。 これは、絶対音感を取り戻したというよりも、頭の中に参照用の「レファレンス音*」ができたからなのかもしれない。 5年前には、中村吉右衛門版「鬼平犯科帳」のオープニングテーマのキー(Am)と、エンディングのジプシーキングズの「インスピレイション」(F#m)を拠り所にしていた。 今は特に拠り所にしている曲は無いけれど、子どもの頃のように、パッと聞いた曲のキーを当てることができるようになってきた。 

 

ふ~ん。 で、

それが一体どうだっていうんですか?

 

もっともな意見である。 その通りだ。

それが一体どうだっていうのか? 

別にエラくもなんともない。 曲のキーを当てられたって、

実際に自分の思いどおりに作曲できなければ、

即興演奏できなければ、

音楽のプロフィシェンスィーは無いに等しい。

 

今の私の音楽語のプロフィシェンスィーは、赤ん坊の四つん這い歩きと同じレベル。

でもね、

少なくとも自分の手足を使って、もがきながらでもハイハイしているんだから、

楽譜どおりにしか弾けないよりも、音楽語のプロフィシェンスィーは遥かに高い。

 

音楽が鳴っていない状態だと、絶対音感はおもしろいくらいブレブレです。

でも今の私は、ピアノを習っていた中学時代よりも、

5年前から独学を続けた結果、

音楽の知識と作編曲や即興演奏の内容が遥かにアップしていて、

とても嬉しく思います。

 

 

*「レファレンス音」という言葉は、私が「この人は信頼できる!」と確信した音楽業界のプロの人が動画で使っていた言葉を日本語にしたものです。 私は、この人の動画を見て、「この人は本物だ!」と思って、以来、その人の動画で学び、その人が音大の授業で教えるためにまとめた理論書のファイルをダウンロード購入して、自分の独学の練習に生かして続けてきました。 そして今、そのようにして良かった!と思っています。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

音感がマシになってきた | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

tokyotoad