ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ道楽の日々

音楽と、その国の風土・文化

 

以下は、20210727にアメブロに書いた記事:

 

私の夢は、20世紀以降の西洋音楽語をある程度把握したうえで、日本人である私だけの音楽を作って演奏して楽しむことですが、そのためには、20世紀以降の西洋音楽の背骨であるジャズに身を投じる必要があると思っています。 

 

とはいっても、私がどんなに若くて才能があって死ぬほど努力しても、ジャズの本場のアフリカ系アメリカ人と同じハーモニー感やグルーヴ感を獲得できるはずがありません。 

私は日本で生まれ育ち日本語が母国語で人生の大半を日本で暮らしてきた日本人だからです。 

風土が、文化が、違うので、どだい無理だからです。

 

これは、裏を返せば、ジャズの本場のアフリカ系アメリカ人は、日本で生まれてずっと日本で日本語環境で育ってこなければ、日本の伝統音楽の響きや間合いを獲得できるはずがない、ということです。 

 

もう一回裏返せば、というか表返せば、ジャズの本場のアフリカ系アメリカ人のルーツを持つ人が、日本で生まれてずっと日本で日本語環境で育てば、当然のことながら日本の伝統音楽の響きや間合いを獲得し、その代わりに、自分のルーツの音楽とは馴染みが薄くなる、ということです。 

これは、ヨーロッパ系人種でもアジア系人種でも同じです。 日本人だって同じです。 

 

風土は人種に勝ります。 

日本生まれ&日本の日本語環境でずっと育ってきた人は、人種に関係なく、ごく自然に日本の音楽の響きや間合いを体得します。 

音楽は文化のひとつの側面だからです。 

 

私に関しては、日本に生まれ育ち生活している半世紀ほどの間に、日本の伝統音楽の響きや間合いを、日本の風土文化の中で吸収してきたので、日本の音楽の響きや間合いが、無意識に演奏に表れています。 

この間、即興演奏している時に、自然に日本の民謡のリズム感をフィーチャーしている自分を発見しました。 

私は、日本で生まれて日本語環境でずっと育ってきた日本人なので、これでいいのだ。 このプレシャスなリズム感が、私の宝物なのだ。

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

音楽と、その国の風土・文化 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

tokyotoad