おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

ケンバン楽器を弾く人の特徴

 

以下は、20210811~14にアメブロに書いた記事をつなげたもの:

 

ようやく、どうにかこうにか、好きな曲を使って音楽の追求ができるようになってきました。 

基本の基本のそのまた基本をポツリポツリと3年間練習し続けて、去年からは、それを向こうから見た形で、やっぱりポツリポツリと練習してきた結果、点と点が線になりつつあります。

 

そうなってくると余計に感じるのは、一流のプロのジャズピアニスト/キーボーディストさんたちの即興演奏は人間業ではないよorz...ということです。 

演奏中の脳の活動レベルがものすごく高くないと、お金を稼げるレベルの即興演奏は難しいことが、よくわかった。

だからなのかはよくわからないけど、ケンバニストさんたちは、ちょっと地味目な感じの人が多いような印象がある。

サックスなどの単音楽器のミュージシャンは、フロントパーソンとしての花(はな)を持ったひとが多い印象があるが、ギタリストやケンバニスト(ピアノ/キーボード)は、地味目な人が多い気がする。

 

バンドのフロントパーソンではなやかなプレイをするギタリストはいるけど、ケンバニストは地味目だ。 

 

この理由は:

 

 ①ケンバン楽器は据え置き型が多いので、演奏時に楽器に貼りつき状態になるため、演奏の動きが地味になる。 ところで、ドラムも据え置き型の楽器だが、演奏時の動作がケンバン楽器よりも大きく、見た目がアクティブな演奏になるので、地味には見えない。

 

 ②ケンバン楽器は右手メロ&左手コードコンピングになるため、演奏作業が複雑で、よって黙々と演奏することになってしまう、 

 

 ③もともと、そういう込み入った作業を黙々と行うことが好きな、地味な性分の人が、ケンバン楽器を好んで弾く傾向があるかもしれない。 これに対して、サックスなどの単音楽器を演奏する人や歌手は、もともと人前で注目を浴びながら自己表現をしたい、外向的な傾向があるかもしれない。

と、私は感じる。

 

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さっきの記事( ↑ 上記)に追加して、

 

サックスなどの単音楽器奏者の人は、明るい性格で社交的な人、というか、ハタから見て少なくとも明るい性格に見える人が多いような気がする。 

ライブのMCが如才なかったり、お客さんへのサービス精神が表情に出ている人が多いような気がする。

 

これに対して、ケンバン奏者やギタリストは、どちらかといえば内向的で理屈っぽい印象があって、お客さんよりも自分の中に意識を向けて演奏するように見える人が多いような気がする。 

ギタリストのための音楽理論の本を読むと、「こんなにたくさん覚えることがあるの!?」と驚愕するよ。 

だからギタリストって学者風な感じに見えるのかな? ケンバン奏者は理屈っぽい印象がある。

 

もちろん例外もあって、野呂一生さんのように、超絶技巧とエンターテインメント性を兼ねそろえたギタリストもいる(現役の伝説スーパーバンドカシオペアのフロントマンだからね)。

 

前回・前々回( ↑ 上記)に書いたように、

 

ケンバン楽器を弾く人は、ケンバン楽器の「据え置き型」の特徴や、両手を使って音をたくさん出せるためにそれだけ演奏が複雑になりやすいこと、そして、もともと込み入った作業を好む内向的な性格の人がケンバン奏者になりやすい傾向があるかもしれないこと、などから、理屈っぽくてちょい地味目な感じの人が多い、という印象がある。

 

これに対して、バンドの顔を張る単音楽器奏者(ホーン、リード、ヴァイオリンなど)や歌手は、もともと人前で注目を浴びながら自己表現をすることを好む外向的な性格の人が多いかもしれない。 

その人が作る曲の複雑さ/単純さに関係なく(超難し過ぎる曲を多作する単音楽器奏者の第一人者がいる)、ステージ上ではお客さんを楽しませるようなMCが上手だったり、表情も明るく、笑顔が魅力的で、社交的で高いエンターテイナー適性を持っている印象がある。 

 

だいいち、単音楽器は、単音しか出ないぶん、出る単音に奏者の念が100%乗るため、伝わる音楽パワーが最強だ。 

それもあって、強い存在感を放つ人が多いのかもしれない。 

だからかもしれないが、「歴史上、最も偉大なジャズプレーヤーは?」と問われれば誰もが「マイルズ・デイヴィス」を思い浮かべるのではないか?

「もう一人挙げるとすれば?」と言われたら「ジョン・コルトレーン」が頭に浮かぶのではないか?  つまり、そういうことになっちゃうんだよ。 

 

 

さて上記は、ケンバン楽器奏者と単音楽器奏者の比較であったが、それでは、クラシックピアニストについてはどうだろうか?

 

クラシックピアニストは、単音楽器奏者と似た性格の人が多いのではないか。 

いや、単音楽器奏者よりも、さらに自意識が強い人たちであるかもしれない。 単音楽器は他の楽器のプレーヤーとの共同作業になるが、クラシックピアニストは基本ピン芸人だからだ。

大観衆の注目を浴びて、たった一人スポットライトを浴びてソロ演奏する、あるいは後ろにオーケストラを従えて協奏曲を弾く、という、究極のピン芸なので、自意識が強い人がクラシックピアニストを目指す傾向があり、子どもの頃からずっと、たった一人でコンクールや検定に臨んできたため、幾度となくふるいに掛けられた結果、自意識の塊みたいな人たちしか残らないのではないか。

 

というのは、私の中学時代の同級生で、クラシックピアニストを目指して音大ピアノ科⇒欧州留学⇒結婚して「今は自宅で近所の子どもたちにピアノを教えています」な人がいるが、ずいぶん前に、それほど親しくも無かったのに「ランチでもご一緒に」と連絡があり、出かけていったら、ランチ⇒お茶の間中ひとりで途切れることなく喋り続け、こちらのほうは、人の結婚生活の痴話話を一方的に延々と聞かされて、彼女のガス抜きの排気口にさせられた気分になったので、「もう二度とコイツとはメシも茶もするもんか!」とコリゴリな思いをしたからだ。 

ふつーはさ、二人で会うんだから、一方的なマシンガントークじゃなくて、双方向の会話になるでしょうに、それがわからないのかなぁ。 

ほんとうにヘキエキだなぁ。 

これが毎日だったら、旦那さんも大変だろうなぁ、と思ったのだ。

 

このような体験からなのか、私は、クラシックピアノの先生は勝ち気で自己中心的な人が多い、という印象を持っている。 

この高い自己中度と、「ピアノ教師」という人様に教えてお足を頂戴する稼業との間に、職業適性的に大きな不一致があるために、ピアノのレッスンでは、先生がお姫様(王子様)で生徒はその僕(しもべ)みたいな関係になってしまいがちになるのではないだろうか?

 

 

ケンバン楽器は、①ピアノと、②ピアノ以外の、2つに分けられると思う。

 

① ピアノは、アコースティックピアノも電気/電子ピアノも、音を言葉で表すと「ポロン」とか「ガーン」になる。 つまり、さいごが「ン」で終わる音だ。

② ピアノ以外のケンバン楽器の音は、「プー」「ブー」「ピー」「ボー」だ。 つまり、さいごが「ー」で終わる音だ。

 

①は、ケンバンを叩いて音を出すだけなので、音がすぐに弱まって消える。①の古いタイプのチェンバロもそうだ。

②は、ケンバンを叩く&ふいごで風を吹き込んで音を出すシステムだから、風が続くかぎりプーーーーーーと鳴らし続けることができる。 鍵盤ハーモニカが人間の肺を使うシステムの肺を、ふいごで行う。

 

②が大きく巨大になれば、風を送り込むふいごも巨大化するので、もはや一人で演奏することが不可能になる。 教会のパイプオルガンは、バックステージの操作室でふいごで空気を送り込む人間がいてはじめて音を出せる。 オルガニストだけでは、音は出せない。

 

現在は、教会のパイプオルガンのバックステージの動力は機械化されていることだろう。 家庭用のパイプオルガンを自作する人たちがアップした動画のコメント欄では、「空気を送り込む動力のエンジンはヤ○ハのボート用のなんとかがいい」みたいな情報交換がされていて、興味深い。

 

教会やコンサートホールのパイプオルガンは、もはや楽器というより設備だ。 

そして、①のピアニストに比べると、パイプオルガニストの演奏アクションは地味だ。 

というのは、オルガンでは足ペダル鍵盤の操作があり、また手の鍵盤も4段も5段もあって、さらに周りの壁には出し入れボタンがおびただしくついていて、それを出したりひっこめたりして音色の調整をしているの? 

良く知らないけれど、とにかく演奏中にやることがいっぱいあって、派手なアクションで弾くのがとても難しいからだろう。 

だから、パイプオルガンの演奏席は、飛行機やマジンガーZのコックピットみたいになっている。 演奏者が鍵盤やいろいろな装置に「囲まれてる感」がある。

 

このパイプオルガンの「囲まれてる感」は、シンセが普及すると、ケンバン楽器奏者に引き継がれていく。 

YMOの教授、カシオペアの向谷さん、ハワード・ジョーンズ、TMネットワークの小室さんなど、キーボードを2~3段重ねたのを3セット「コ」の字型に配置した中に籠って演奏して、「囲まれてる感」アンド「コックピット内で操縦している感」が醸し出されていた。 

だから、向谷さんのような演奏アクションがかなり派手な人でも、「囲まれてる感」のせいで、野呂さんよりも大人しく見えてしまいがちだった(野呂さんがバンドの中心だったこともあるが)。 

それに、向谷さんは神保さんと一緒に、ステージの後方に配置されて「囲まれてる感」楽器くくりのポジションで演奏することもあったから、余計に地味に見えがちだったが、それでも立て板に水のようなMCも相まってケンバニストとしては最も派手な存在であった。 

ケンバニストが目立つ場合は、教授や小室さんのように作曲&編曲を手掛ける音楽監督的な立場の場合であろう。 

みなさん立って演奏していたが、それでも「囲まれてる感」によって、ギタリストやベーシストより大人しい感じに見えた気がする。 

ハワード・ジョーンズが囲まれていても目立ったのは、彼はピン芸のシンガーでキーボードを弾きながらカメラ目線で歌を歌い、彼以外のメンバーはバックバンドで彼よりも目立たなかったからだ。

 

現代のケンバン楽器奏者は、どちらかというと②(オルガン)タイプの電子楽器がメインか、もしくは①(ピアノ)+②のセッティングで弾く人が多いので、①しか弾かない人よりも演奏時のアクションが地味目に見えてしまうのだろう。 

このケンバニストの地味感を解決するのが、大御所ハービー・ハンコックや小室さんが使っているショルダー型のキーボードだが、片手弾きになるし、エレキギターとかぶるから、あまり使われないのかもしれない。 

コード&リズム楽器として、フロントのリコーダーや弦楽カルテットを引き立てる、バロック音楽におけるチェンバロと同じ裏方的な役割を、ケンバニストは今も求められているのだろう。

 

だから、①(ピアノ)しかやってこなかったクラシックピアニストがバンドや合奏に入って演奏すると、伝統的な本来のケンバニストが持つべき「裏方アティチュード」に欠けるために、他のメンバーがやりにくさを感じる場合もあるのではなかろうか。 

いずれにせよ、クラシックピアノ出身でも電子オルガン出身でも、「私が主役よ!私を見て!」な人は、プロになってもやがて消えていってしまうのだろう。

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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