おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

身体操作セッションに参加した時の思い出(番外)

 

以下は、20210928にアメブロに書いた記事:

 

最近書いている記事:

身体操作セッションに参加した時の思い出(続き)

身体操作セッションに参加した時の思い出

 

の続き、というか、番外編。

これも、上記の記事と同様、何年か前に参加した時の思い出だ。

 

「音楽家のための...」と銘打った身体操作のワークショップに参加した。 

「音楽家のための」とあるので、どんな人たちが参加するんだろう? と興味を持って参加したが、ダンサーや役者が参加するワークショップに比べて、

参加者の普通の動作に動きが無い

 

普段着で参加できるワークショップだったからであろうか?

普段着で参加できるということは、運動着に着替える必要がないワークショップであり、その時間中、

運動らしい運動を行わないワークショップということである。

 

身体操作の師匠による、「ツカミ」というか見世物というか、みたいなデモンストレーションの後、

参加者の中から数人が、楽器演奏や声楽の際の悩みを打ち明け、

師匠がそれに対して解決策を提示し、提示前と提示後の演奏の音や歌声の変化を、

参加者全員で見学する、というものだった。

 

正直言って、「見世物というかエンターテインメントを観に行った」という感じしかなかった。

身体操作の師匠の動きを見るというよりも、

全然動けない音楽家の人たちのダメな動きばかりを見学するハメになり、

私にとっては有意義ではなかった。

 

しかしながら、音楽家たちの身体操作の悪さを改めて知ることができた。 

ステージで披露する音楽も、舞台芸術だ。 

楽器は身体の延長であり、声は人間の身体が楽器である。 

役者やダンサーと同じとはいかないまでも、

ある程度の身体操作性がなければ、良い演奏はできないのではないだろうか?

 

参加者の音楽家のみなさんの姿勢の悪さも気になった。 

姿勢が悪いと、当然、声も悪い。 

これらが悪いと、当然、身体の動きも悪い。 

身体的な側面がすべて悪いと、演奏の音も悪い。 

音楽語のボキャブラリーによるフリートークが一丁目一番地のジャズやインプロであればいざしらず、

カニカルな演奏技巧と音の良さが一丁目一番地のクラシックの音楽家ばかりが参加するワークショップなのに、

あまりにも身体操作が悪すぎではないか!という感想を持った。

 

背が高く体格が立派な人であれば、持って生まれたフィジカルが才能であるが、

背が低く貧相な体格の人は、その絶望的なフィジカルのハンデを身体能力で補わないと、とくにクラシック音楽の場合は、本家の西洋人の演奏に全く太刀打ちできない。 

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

ameblo.jp

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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