ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

【クラシックピアノからジャズピアノ】でどうしてもわからないこと

 

以下は、20220212にアメブロに書いた記事:

 

独学なので、参考になることはないかと

しばしばネットで検索するのだが、

 

「クラシックピアノからジャズピアノ」という話題に関して、

いまだに、どーしても、わからないことがある。

 

それは、以下のことである ↓

 

その道の「先生」とおぼしき人がアップしている

サイトやブログや動画の大半で、

クラシックピアノとジャズピアノの違いについて

以下のような説明がなされている ↓

 

 クラシックピアノとジャズピアノは:

  リズムが違う

  ピアノの奏法が違う

  楽譜の表記が違う

  クラシックは再現芸術で、ジャズは即興演奏

  ジャズのリズムは独特

   ...などなど...

 

私は、

クラシックピアノとジャズピアノの間には、

もっと根本的な、

言語的な違いがある

と思っているのだが、

 

言語的な違いについて触れている

サイトや動画が

ほとんど見当たらないのだ。

 

もちろん、

20世紀以降のクラシック(以降のシリアスな)音楽と、

ジャズは、

理論的に共通する(かぶる)部分が多い。

だが、

ふつう

「クラシックピアノとジャズピアノの違い」

といえば、

「バッハやベートーベンやショパンやリストと、ジャズの違い」

と考えられている、

と私は思うので、

どうして、言語的な違いを指摘するコンテンツが

こんなにも少ないのだろうか?

と、つくづく不思議に思う。

 

「クラシックピアノとジャズピアノの違い」

について述べているコンテンツの多くは、

その道の「先生」とおぼしき人たちがアップしているに違いないのに、

どうして指摘しないんだろう?????

 

もしかすると、

言語的な違いに気が付いていない?

とすれば、

その「先生」とおぼしき人たちは、

よほどの音楽オンチだ!

 

あるいは、

言語的な違いを指摘してしまうと、

クラシックピアノ経験者が気軽にジャズをかじってみる気が

いっぺんに消え失せてしまうから、

言わないように隠しているのかもしれない。

今まで何年も、人によっては10年、20年も

英語の名文を

さしたる単語や構文の意味を知ることもなく

正しく美しい発音で朗読する練習しかしてこなかった人に、

「さあ今からドイツ語でフリートークをする練習をしますよ!」

と言ったら、

彼らは、自信もやる気も、いっぺんに喪失してしまうだろう。

それと同じことが起きるから。

 

ちなみに、さきほどの

「クラシックピアノとジャズピアノの違い」について、

  ジャズのリズムは独特

と言う「先生」とおぼしき人たちがいるが、

21世紀も20年以上も経過して、

20世紀以降の音楽がデフォルトになって久しい今、

クラシック音楽のリズムの方がよっぽど独特だよ。

 

それから、

上述した「シリアスな音楽」という表現は、

実は、誤解を生む言葉だ。

アメリカでは、「シリアスな音楽」はジャズを含む。

  (そういう意味では、

   ジャズも「死んだ音楽」だ。)

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

【クラシックピアノからジャズピアノ】でどうしてもわからないこと | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。