ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

聴覚能力に秀でた超一流プロを「天才」という安易な言葉で片づけるな!

 

BSテレ東の「プレイバック 日本の歌手協会歌謡祭」という番組は、21世紀の日本のミュージックシーンでミュージシャンとしてちゃんとお金を稼ごうと思っている人たちにとっては、必須マスト!のコンテンツだ。

 

戦前から戦後そして21世紀へと続く、日本の音楽シーンの至宝が、もうゴロゴロ転がっていて、有難さと畏敬の念と感謝で、手を合わせざるを得ない!

 

だから私は録画し始めたんだよ! もう、日本の歌謡曲から演歌からポップスまで、網羅的な知見を得られるんだから!

 

昨日だったかな、中村メイ子さんが司会で出演する回を視た。 中村メイ子さんって大変な文化人の血統保持者&ご本人も文化人だなーしかも今現在もご健勝で生気あふれていらっしゃる! と有難い気持ちでいっぱいになったのだが、

合田道人さんもスゴイよねー、アドリブでのピアノ伴奏! プロってこういうことなんだよね。 超高齢の歌手たちの、歌い出しから間奏の長さから、自由なタイミングで歌う歌唱に合わせる伴奏。 楽譜どおりに完璧に弾けます!なんて、プロの世界ではこれっぽっちも通用しないんだ! 合田さんのピアノはホンモノ!

 

そんな中で、作曲家神津善行さんの奥様の中村メイ子さんが

江利チエミ美空ひばり雪村いづみちゃんは天才だった。彼女たちは楽譜が読めなかった。なのに、楽曲を1度聞けばすぐに覚えてしまったのだ」

と言っていた。

 

この一言に、プロの世界で一流になる人たちの素質如実に語られている。 つまり、耳の良さだ。 歌手だけではない。 楽器演奏者でも、音楽産業の第一線で活躍している人たちは、絶対に耳が良いはずだ。 なぜなら、音楽は、耳で聴く芸術だからだ。 そして、私が「この人はスゴイ!」と思うミュージシャンたちは、当然ながら楽譜を瞬時に読む上に、楽譜の中にコンテインされている(含まれる)音楽情報の、数次元も上位の質と量の即興演奏を日々何十年も行い続けている! 

 

そして、21世紀の今日は、

「楽譜を読めないけど音を聴いてすぐに覚えられて素晴らしい自己表現で演じられる人」のことを「天才」という安易な言葉で片づけて欲しくない! 中村メイ子さんは20世紀にメインで活躍した人だから、許される。  

 

音楽業界の一流人たちが共通して語ることは、歌でも楽器演奏でも、「リハの音を聞いたら、あるいは、1秒も演奏を聴いたら、その人がプロで通用するかどうかが瞬時に、ハッキリとわかる」という内容だ。 美空ひばり江利チエミ雪村いづみの御三方は、彼女たちが声を発した瞬間に、誰もが舌を巻き魅了される歌声を持っていた/るということだ。 その吸引力は人間の次元を超えている。 ステージに立って、大衆の面前で、芸を披露する人たちの、恐ろしいほどのパワーが伺える。 三人娘の中でただ一人ご健勝で活躍されている雪村いづみさんの、あの歌声の美しさ、豊かさ、そして伸び。つまり物凄さ! まさに人間を超越した天上界の歌声とはこのことだ。 八代亜紀さんをはじめ大御所中の大御所も然り。人の心を揺さぶる真の音楽性と自己表現のパワーの極みが、天上界に響く歌声の中に炸裂している。  

 

楽譜が読める/読めないなんて、真の芸術にとっては、どうでもいいことなんだ。 もちろん、三人娘のような真の芸術家たちのバックで伴奏する演奏家たちは、楽譜が読めるだけでなくて、歌い手やソロ演奏家の年齢や健康状態に臨機応変に対応してキーを半音なり全音なり変えて伴奏するスキルは基本中の基本だ。 だが、真の芸術家、真の表現者は、スキルを異次元で超越している。 だからこそ、ステージでスポットライトを浴びて、目の前の何千人のお客さんたちを陶酔させることができるのだ。 そして、いつもは彼らのバックで黒い洋服を着て目立たずに演奏している、サポート演奏者のなかにも、異形ともいうべき突出し過ぎた才覚を有する人たちが数多くいて、彼らは、いざ自分がスポットライトを浴びる自主興行のライブになると、彼らの真の実力・本領をいかんなく発揮する。 彼らの異形的に高い音楽性と、その表現のセンスがものスゴすぎるので、お客さんたちは彼らの音楽の虜だ。

 

今日の記事で私が言いたかったことは、美空ひばり江利チエミ雪村いづみさんのような「楽譜を必要としない」人たちのことを、「天才」という安易な言葉で片づけてほしくない!ということだ。 「天才」という言葉は、しばしば、差別用語になる。 「しかるべき音楽教育を受けていなくて楽譜が読めない、にもかかわらず!生来のミステリアスな才能によって、なぜかできちゃう人!」という意味合いで使われがちだ。 つまり、「天才」は「holy savage (聖なる土人)」と同じ意味で使われがちだ、ということだ。 美空ひばり江利チエミ雪村いづみは、「聖なる土人」ではない! 彼女たちは、音楽家になるための最低条件である聴覚能力が人並み外れて優れた人たちであり、楽譜なんていう、音楽耳が貧しいのに音楽のプロになろうとする凡人が頼りすがり錦の御旗のように振り回さなければならないような、情報量の乏しい紙っぺらのメディアなんてはなっから必要としない、真の意味で音楽家の資格を持って生まれてきた人なのだ。 そのことを、音楽教育に携わる者たちは、終生肝に銘じ続けるべきだ。

 

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