ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ道楽の日々

ツェルニーとブルース

以下は、20210729にアメブロに書いた記事:

 

クラシックピアノにおけるツェルニーは、ジャズピアノにおけるブルースである!と直観した。 

 

とある著名なジャズピアニストさんが、「ブルースはアメリカ黒人の演歌だ」と書いていて、そうだろうなぁと思ったが、だったらヨーロッパ白人のクラシック音楽の演歌は一体何だろう?という疑問が浮かんだ。

 

クラシック音楽だと広すぎるので、クラシックピアノの演歌は何だろう? と思ったとたんに

ツェルニーだ!と直観したのである。

 

ここで言う「演歌」とは、長い歴史のなかでその民族の文化に深く刻まれた、その民族に特有の節回しやリズム感を有する、シグナチャーな音楽のことである。

 

であれば、クラシックピアノの演歌はツェルニーでしょ! ツェルニーというか、モーツアルト~ベートーベンでしょ! ツェルニーはベートーベンの弟子だったんじゃないかな? 

ベイスラインが歩いたり転がったりメロディーがオクターヴ・ディスプレイスメントする曲が多いバッハはちがうかも。 ビバップの人たちはバッハにインスパイアされたところがあるからね。 

もしも、ビバップの人たちがツェルニーにインスパイアされていたら、ジャズは一体どんな音楽になっていたんだろうか?

(いや、インスパイアされることはなかったと思います、インスパイアされたい要素が無かったと思います。)

 

脳にツェルニーが深く刻み込まれちゃってることが、クラシックピアノ経験者がジャズピアノをやる際の大きなハンデの一つになっている、と痛感する。 ほかにもハンデはたくさんあるけどね。

ツェルニーって「50番」ぐらいまであるんだってね? 子どもの頃に、イヤイヤながらも「40番」までやらされたら、この呪いを解消するのは大変だ。 

この強烈な呪いを粉砕するにはモンク大師しかいない、と思っている。

続きの記事: 

ツェルニーとブルース(その2) - おんがくの彼岸(ひがん)

続きの記事の訂正記事「ツェルニーはブルースではない!」

tokyotoad1.hatenablog.com

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト 

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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