音楽の彼岸のピアノ遊び

大人のピアノ道楽を満喫するピアノ一人遊びの日々

クラシックピアノ出身者の勘違い

以下は、20211221にアメブロに書いた記事:

 

 

とあるジャズピアノ教師の方が動画で、

 「ジャズピアノを習いたければ、

  『ジャズピアノ教えます』と宣伝する先生には

   習わない方がいいですよむかっ

と言っていた。

 

また、

他のとあるジャズ教師の方がブログで、

クラシックピアノの先生方に向けて、

 楽譜やコードに沿ってそのまま弾いても

 ジャズにはなりませんよむかっ

という内容のことを書いていた。

 

ジャズの先生たちは、

クラシックピアノ教師に対して、一様に手厳しい。

 

厳しく言いたくなるほど、

てめぇらナメてんのか!爆弾爆弾爆弾ドンッドンッドンッドンッパンチ!パンチ!パンチ!パンチ!パンチ!

ムッむかっむかっむかっむかっむかっとしているのだろう。

 

というか、

 「あんたたち、こんなに何もできない有り様で

 本当にお金取ってジャズを教え(ようとし)ているんですか?

と、もはや

呆れて言葉も無いんだろうね。

 

 

お気持ちが痛いほどわかるよ...。

 

そりゃぁ、ジャズ専門の先生にしてみれば、

クラシックピアノ出身のピアノ教師に

クラシック曲のついでに

得体のしれないニセモノジャズまで教えられては、

自分たちの商売は上がったりだし、

なによりも、

自分たちが何十年も心酔して

人生を賭けて追求してきた音楽ジャンルに

泥を塗られたように感じるものね。

そりゃぁ許せないだろうよ。

 

 

ちょっと考えればわかることだと思うけどね。

たとえば、

関東で生まれ育った人は関西弁を完璧に話せるようになることは有り得ない。

たとえ大人になってから大阪に移り住んで何年間も大阪弁環境にドップリ浸かって努力しても、

残念ながら、

ネイティブ大阪弁スピーカーと同レベルに話せるようには、ならない。

同じ日本の中なのに、

日本各地の方言は、それほどまでに、それぞれの個性が強いのだ。

なぜなら、

その土地の言葉は、

何千年もその土地に住んできた人たちが紡ぎ築いてきた

その土地の固有の文化の表現だからだ。

 (一見、「標準」の社会に見える東京も、実はそうなんだよ)

世界中、どこでもそうだ。

イギリス英語とアメリカ英語は語彙やスペリングや発音が違うし、

同じイギリスの中でも、

女王様の英語を筆頭に、ロンドンの下町言葉、ミドルクラス以上の言葉、

ヨークシャー弁、スコットランド弁、

さらには、英語ではないウェールズ語もあって、

それぞれの言葉には、

それぞれの地域の数千年以上の文化がヒモ付けされている

 

音楽も同じだ。

楽譜やコードといった表面的なものの下にあるのは、

そのジャンルの音楽の文化だ。

同じ西洋音楽でも、

クラシック音楽とジャズ音楽は、語彙や表現が違う。

それぞれの文化にヒモ付けされているからだ。

だから、クラシックからジャズに改宗するのは並大抵のことではない。

ちょっとかじっただけで

簡単に掛け持ちできると思うのが、

音楽シロートの無邪気さだ。

 

 

音楽シロートの無邪気さ

 

 

いやしくも

音楽のプロだったら、

そんなシロート考えは

とても恐ろしくてできない筈だ。

 

 

だから、

ちょっとかじっただけで

簡単に掛け持ちできて

お金をもらって教えることができると思うこと自体が

教えるプロ失格。

罰当たりの行為だ

 

 

だから、

このようなプロ失格の考えを持ちながら平気で見世(店)を張っているのは、

主婦バイトや家事テツバイトやイカレポンチバイトの「ピアノ教師(だそうだよ)」と相場が決まっているのだ。

そして、

こういう実質シロートのクラシックピアノ教師に限って、

もし万が一にでもジャズピアノ教師が

「ジャズピアノを教えますがクラシックピアノ教えますよ」

と言うのを聞いたとしたら、

「何てけしからん!」

と激怒するに決まってるんだ。

自分のことを棚に上げて。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

クラシックピアノ出身者の勘違い | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

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