ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

カプースチンと、ジャズ

 

以下は、20220226にアメブロに書いた記事:

 

数年前のピアノ会で、

 

「ジャズ? カプースチンがジャズを取り入れていますよ」

 

というクラシックピアノ愛好家の言葉が耳に入ってきたことがある。

 

その人の言葉には:

「私にはカプースチンがいますから、ジャズはもう間に合っていますよ(=だから、クラシックピアノ愛好家の自分が、わざわざジャズを弾く必要なんてありません)。」

 

というニュアンスがあった。

 

wikiによると、

カプースチンは、ウクライナ出身の作曲家で、名ピアニストだったそうだ。

 

カプースチンが自作曲を演奏する動画が、少数だがアップされている。

老境に達した頃の演奏で、演奏姿勢は悪いが、

演奏姿勢が悪いにもかかわらず

難曲といわれる自作曲を、淡々と地味な動きで弾けるのは、

  ① 子どもの頃からロシアピアニズムを叩きこまれたヴァーチュオソという、例外的な存在だから

  ② 手が大きいから

だろう。

手の大きさは、姿勢の悪さをオフセットして余りある、

身体的な絶対有利条件であることが、わかる。

 

カプースチンが自作曲を演奏する動画に寄せられた地球各地の人たちのコメントを読むと、興味深い。 

作風を絶賛する人もいれば、

いろいろな作曲家/ミュージシャンが聞こえる人たちもいるようだ。

 

カプースチン本人は、自分は作曲家であってジャズピアニストではないと思っていて、

即興演奏には興味が無いと語っている。

 

カプースチンによる楽曲の

クラシック音楽的な、水も漏らさぬ完成度の高さは、

それらが彼の即興演奏をトランスクライブ(記録)したものではないからだろう。

 

上述の、カプースチン本人の言葉によると、

彼は作曲家であって、ジャズピアニストではない

作曲家は、今現在のエンターテインメント時間を

リアルタイムに設計&実行する仕事では、ない

作曲家は、時間をかけて、

作品を練りに練って、完成させる、

将来のエンターテインメント時間のための音楽の設計を行う仕事だ。

 

おそらく、

子どもの頃からクラシック音楽を叩きこまれて、

脳から骨の髄までそのイズムの申し子だったカプースチンにとって、

即興演奏で実現可能な音楽の水準は許容できないものだったはずだ。

即興演奏は、その場で瞬間的に作曲してそれを演奏していく、

リアルタイム創作活動だ。 だから、

前もって見直して推敲することが、できないし、

間違って弾いたら、もう、弾き直しができない。

音が出ちゃったら、それが、その時の成果物として確定してしまう。

これは、

「アドリブのフリートーク」と「練りに練った原稿を読み上げる」違いだ。

原稿は、事前に練れば練るほど、クオリティが高くなる。

アドリブのトークには、そのような時間的ラグジュアリーは、無い。

練りに練れるラグジュアリーが与えられていないにもかかわらず、

高水準の創作物を要求されるのが、即興芸術である。

クラシックピアノ愛好家は、ジャズピアノ愛好家の演奏を聴いて

「大したことをしていないな」と感じることが多いだろうが、

「それじゃあ、お前が、

楽譜も何にも無くて、メロディーとコードだけで

 どこまで即興で音楽を創れるか、やってみろよ!」

 と言われて、どこまでできるだろうか?

カプースチンの楽譜を完璧に弾けることと、

即興演奏というリアルタイム作曲の限界に挑むジャズを弾けることは、

全く別物の能力なのだ。

 

カプースチンの作品は、ジャズ音楽の構造的な研究のために有益のようだ。

ジャズの各時代のイディオムがふんだんに使われているからなのかもしれない。

20世紀後半。第二次大戦後から米ソの東西冷戦の時代。

ソ連共産主義の鉄の壁の内側で生きる若いカプースチンは、

受信できたラジオ放送「Voice of America」から

アメリカのジャズを吸収した。

「Voice of America」は、第二次大戦の際に、

情報戦のためにアメリカが設立した国営放送である。

カプースチンは、アメリカの民主主義や自由主義の宣伝の合間に流れる

アメリカの音楽ジャズを、食い入るように聴きまくったのだろう。

カプースチンの作品に、病的なくらいに

これでもか!これでもか!と、ふんだんに使いまくられる

ジャズのイディオムは、

旧ソ連共産主義の内側で生きるプロの音楽家であるカプースチンの、

アメリカが宣伝する「自由民主主義」への

強い憧れと渇望の表れなのか?

 

カプースチン本人の演奏動画を見ると、

確かに、ジャズには聞こえない。

偶発的な事象に触発された意外性のある化学反応を、伴わない

あらかじめ譜面の上に細部まで完璧に設計&構築された音楽に聞こえる。

クラシック音楽の作曲法の上で、ジャズのイディオムを使って

深慮熟考のうえに水も漏らさぬ完璧さで構築された、

20世紀のクラシック音楽に聞こえる。 また、

「笑い」というか「愉悦」というか「楽しさ」が、

あまり感じられない

私なんぞは、たとえば、

セロニアス・モンクのソロピアノ即興演奏を聴くと、

苦笑失笑びっくり唖然の連続の末に

最後に「参りました!」である。

明らかにミスタッチであろう音ですら

「これも有り!というか、この音のほうがいいじゃないか!」

にさせてしまうモンクは、

ジャズピアノにおける三遊亭圓朝である。 つまり、

ピアノの前に座るだけで、弾き始めないうちに、もう勝負あった! という、

芸の神域に到達した存在なのだ。

これに対して、

カプースチンの音楽には、

笑いや愉悦が感じられない代わりに、なんというか

ジャズイディオムへの執拗なこだわりというか

狂おしいまでの執着というか...が、感じられる。

ロシアのフィギュアスケートに時おり見られるような

「失敗したら本当にシャレにならない」雰囲気のある

ロシア(ソ連)式特訓の血も涙もないような厳しさを彷彿させる

マシーンのように完璧で狂いの無い「鉄のヴァーチュオスィティ」の上に

「これでもか!これでもか!」とちりばめられたジャズのイディオムが

それこそフィギュアスケーターのように、

クルクルと舞いまくっている、ある種悲愴な狂気のようなものを感じる。

 

カプースチン追想記事を見つけた。 それによると、

カプースチンは、「Third Stream」という流派に属するそうだ。

この流派は、ある音楽ジャンルに異質の音楽をぶつけて融合させて(フュージョン)、その音楽ジャンルを進化充実させることを目指したんだなぁ、と、私は解釈した。

カプースチンは、クラシック音楽にジャズ言語のイディオムをぶつけて融合させて、クラシックとジャズのフュージョン音楽を作ることを通して、クラシック音楽を更に充実させることを目指したんだなぁ、と思った。

やっぱり、カプースチンの音楽は、ジャズではない

カプースチンの音楽は、どこまでもクラシック音楽だ。

旧ソ連邦においてクラシック音楽にジャズの要素を取り入れる試みを行ったカプースチンの功績は、

後世の音楽評論家が評価することになるのだろう。

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむ風流への道を歩くピアニスト

 

もとの記事@アメブロ

ameblo.jp

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。