ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

原価率30%のパフォーマンスを目指す

 

以下は、20220123にアメブロに書いた記事:

 

外食産業では、

利益を出すためには、

商品の原材料となる

食材の金額(原価率)を30%以内に抑える

と、

一般に言われている。

 

これは、

外食産業に限ったことではないと、私は思う。

 

たとえば、

ミュージシャンは、

自分の持っているフルの演奏能力の30%程度で

請け負いの演奏仕事の成果物(演奏)を演奏して初めて、

お金を頂けるに足る全うな仕事ができるくらいではないだろうか。

 

「自分の能力の30%しか出さないなんて、手抜きだ!」

ではない。

どんな仕事でも全力で行うのが当然だが、

自分のフルの実力のうち70%ぐらいは

余力として温存できるほどの高い熟達レベルで

実際の仕事に当たることができないと、

現場で起こる突発的な変更やハプニングに

対応できないからだ。

 

実際の仕事の現場では、

自分のフルの実力の3割程度しか出せないだろう。

勝手知ったる自宅での慣れ親しんだ環境とは、

何もかもが勝手が違う環境で

お金を頂けるに足る

プロレベルのパフォーマンスを実現する必要があるからだ。

 

楽器演奏に限らず、

人前でのスピーチやプレゼンや営業も、

そうだろう。

ましてや、

プロ野球などのスポーツ興行も

そうに違いない。

 

気温/室温や、照明の当たり具合など、

自宅での練習やリハーサル場所と

全く勝手が違う場所での本番。

それに加えて、

人前でのパフォーマンスには、

「対戦相手」や「お客さん」や「クライアント」という

大きな不確実要素が存在する。

 

プロ野球では、

試合直前のバッティング練習で

バッティングピッチャー相手にどんなに上手く打てていても、

本番の試合で、

こちらが打ちやすいように球を放ってくれるような

相手チームのピッチャーは、絶対に存在しない。

   ↑ おおっ! だから、野球では、

    首位打者でも打率が3割強程度の成績しか上げられないのだ!

    打ちやすい球を投げてくれるバッティングピッチャー相手なら10割近く打てても、

    実際の仕事の現場では、打ててせいぜい3割だ。

 

落語や漫才などの話芸では、会場のお客さんのレベル、つまり

お客さんがどれだけ落語や漫才に精通しているか? に応じて、

その場で瞬時にネタや表現を替える。

会場に来てくれたお客さんのレベルとかけ離れた水準の、

お客さんを置き去りにするようなネタを話したら、

お客さんが楽しめなくて、今後、

落語会に足をはこんでくれなくなるかもしれない、

つまり、今後、

「お足」をいただけくなるかもしれないからだ。

噺家が、まくらの部分で小噺を話すのは、

お客さんの受け具合を見て、

これから話す噺の中にどれくらい玄人的な上級ネタを入れ込もうか

図っているふしがある。

今日は艶っぽい話を高座にかけようとおもっていたところに、

「客席に子どもがいる」という情報が楽屋に伝わると、

それじゃぁ、別の話にしようか?と気を遣う噺家も、中にはいる。

高座に上がってから、または、高座の直前に、

臨機応変にネタを替えることができるのは、

今日の高座を、自分のフルの引き出しの3割程度で行えるぐらいの

引き出しの多さと高度なレベルの熟達があるからだろう。

温存した残りの7割の余力で、

突発的なハプニングを吸収して、

何事もない涼しい顔をして高座を務められるのが、

一人前の「真打(しんうち)」の噺家さんなんだろう。

 

お客さんが敵になることだってある。

私は、かつて、ある演芸場で、

性悪の客に持ちネタを潰されたベテランのマジシャンを目撃した。

その性悪の客は、中年の女性で、

演芸場にろくすっぽ通わない私でも何度か見かけたことがある人だったので、

おそらくは、その演芸場の常連客なのだろう。

彼女は、そのマジシャンのお決まりのトランプのマジックを何度も見たことがあって、

そのマジックのカードの「答」を知っていたふしがあった。

そして、自ら率先して手を上げて

そのトランプマジックのカードを引く役を引き受けて、

マジシャンから

「では、あなたが引いたカードは何でしたか?」

と問われたときに、

なんと、「答」とは違うカードの数字を言ったのである!

たとえば、

「ダイヤの7」が正解なのに、それと知っていて、

「スペードのエース」と答えるようなことをしたのだ!

違うカードの数字を伝えられて、うろたえながらも

プロとして何とかその場をまとめようとするマジシャンを見つめる彼女の顔を、

私は顔を上げて見た。

意地悪そうに微笑む彼女の目の輝きに、吐きそうになったよ。

この人、働いたことあるのかな~?

生活のために自分の人生の時間を切り売りして労働して

他人さまからお金を頂戴するような仕事に

就いたことがあるのかな~?

って、思った。

そりゃあ、そのマジックは、そのマジシャンさんのお決まりのマジックだよ。

でも、演芸場の高座でも映えるように、

お客さんを楽しませるように、いろいろな仕掛け道具をこしらえて、

それらを駆使して、

ガチな話芸で勝負する名人噺家さんたちの高座と高座の間に

お客さんたちに、脳の休憩も兼ねた一時の和みのひと時を届ける、

いわゆる黄金のマンネリズム芸でしょ!?

それが、演芸場における色物さんの使命であって、

そのベテランのマジシャンさんも、その色物を極めてやっているわけで、

プロの芸人の芸を潰す行為は、悪質というよりも、

野暮の極みだよ...。

マジシャンさん、とんだ災難でしたね。 でも、

そういう性悪の人間は、この先、どっちみち、

たくさんの性悪人間たちに陥(おとしい)れられて、

狼狽するばかりの人生を送ることになりますよ。

 

上記は極端にヒドいケースだが、

そうじゃなくても、

一般的に、

本番のパフォーマンスは、

不確実な要素に満ち溢れている。

勝手知ったる自宅ではないから、

演じる場所の環境や、お客さん、そして

自分を雇ってくれたクライアントの突然の要求変更など、

何が起こるかわからない。

加えて、その日の自分の体調や、

仕事をするための道具や機材

   (野球ならバットやグローブ、演奏なら楽器、

   営業職であればモバイル機器など)

の予期せぬトラブルも想定して、

いざという時に対応する準備をしておかなければ、

プロとして相応しい仕事をすることは、無理だ。

そんなプロの仕事の現場で、

自分の実力いっぱいいっぱいのパフォーマンスで臨もうとするのは、

リスクが有り過ぎる。

だから、

自分の実力の30%ぐらいで、

お金をもらえるプロの仕事ができる水準に

自分の実力をつけておく必要が有る。

 

私自身、

自分を振り返っても、

そうだったように思う。

仕事の現場では、

 「もう一回見直してよいですか?」 や

 「不明なので明日までに調べておきます」 などとは

決して言うことはできなかったし、

そんなこと言うつもりもさらさらなかった。

見直す時間ナシ。 

明日までに調べる? あんた何のんきなこと言ってんの?

味噌汁で顔を洗って出直して来い!

である。

だから、仕事は、

自分のフルの実力の3割程度で

ハイスピードの自動操縦モードで行っていた。 

つまり、

目をつぶって高速道路をトップギアで安全運転で疾走できるぐらいの

高度な熟達レベルが、お金をもらう仕事には必要なのだ。

「高速道路をトップギアで安全走行」とは、

アクセルに軽く足を置く程度で、

時速100kmで無理のないスムーズな走行ができている状態だ。

トラックの運転手さんは目をつぶって運転なんてしないが、

彼らは決して無理をせず、時速100km前後の一定速度で

高速道路を長時間走行する。

これが、プロの運転だ。

自分に無理をせずに安全走行することで、

運搬する商品を確実に先方に届けるのだ。

商品を無傷のまま確実に先方に届けることが、彼らの仕事であり、

自分の能力ギリギリの無理な運転をして事故ることは、絶対に許されない。

だって、事故れば給料をもらえないばかりか、

損害の補てんも一部負担しなければならないかもしれないし、

何よりも、

「トラック運転手」という自分のキャリアの信用が

大きく損なわれるからだ。

自分のスキルや体力のいっぱいいっぱいで運転すれば、

悪天候や、前方で起こった事故などの突発的なアクシデントに

瞬時に対応できる余力を温存しておくことができないだろう。

だから、

確実な仕事の達成には、余力の温存が不可欠だ。

トラックの運転に限らず、

熟達が「実力の3割使って、7割は温存」のレベルになると、

高品質の仕事を一貫して届けることができるので、

先方から高評価を一貫して得ることができ、

請負仕事であれば、仕事の受注が途切れることがない。

という自分の経験を踏まえて、

どんな仕事も、

実力3割の自動操縦モードで行って

お金を頂けるような高い熟達レベルに

自分の実力(=スキルと経験値)を上げておく必要がある、と、

私は確信している。

逆に、

実力がそのようなレベルに至っていない場合は、

仕事の現場で仕事にならないので、

その仕事でお金を稼ぐのは、無理だろう。

 

一流のミュージシャンたちが演奏する姿を見ても、

「実力3割での自動操縦モード」を強く感じる。

聴く人が、ハラハラすることなく、

大船(おおぶね)に乗った気分でゆったり楽しく聞ける演奏のレベルだ。

「またお金を払って聴きたい!」と思わせるレベルだ。

おそらくは、演奏中にいろいろなことが起きているのかもしれないが、

それらを吸収して、お客さんにさとられずに

涼しい顔して弾ける程度が

「実力の3割での自動操縦モード」なのではなかろうか。

温存した7割の力を使って、

超多忙な中でのリハーサル時間の不足や、

現場で起きる突発的なハプニングを吸収し、 また、

即興演奏が主体の演奏においては、

メンバー間の臨機応変の即興コミュニケーションに、

温存した余力を使っているのだろう。

 

素人のピアノ発表会でも、

自分の実力の3割程度でミスなく完璧に弾ける水準に準備しておいて、

いざ本番のステージでは、おそらく、

「どうにかこうにか弾けました」ぐらいになるだろう。

 

世の中は、何でも、

そのようにできているみたいである。

 

 

tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト

 

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原価率30%のパフォーマンスを目指す | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。

 

tokyotoad