おんがくの彼岸(ひがん)

「出すぎた杭」の大人ピアノならではの自由と醍醐味(だいごみ)を楽しむtokyotoadのブログ

坂本龍一 の情報のまとめ

 

坂本龍一 情報のまとめ:

 

The Revenant Composer Ryuichi Sakamoto Explains His Process:

http://www.vanityfair.com/culture/2015/12/the-revenant-composer-ryuichi-sakamoto-interview

千のナイフ』のLPを聞いた時の感動を今も忘れない。

 

 

坂本龍一インタビュー 

Face-to-face with Ryuichi Sakamoto

The legendary composer takes us all the way from the beginning to his latest score:

http://ravelinmagazine.com/posts/face-to-face-with-ryuichi-sakamoto/

↑記事抜粋(アバウトな訳):

芸大作曲科時代、鉛筆の握り方のせいで楽譜を書くと手が痛くなるため、現代音楽の作曲から電子音楽の作曲(キーボードによる打ち込み)に進んだ。

戦場のメリークリスマス」の大島渚監督のキャスティングの第1候補ペアがロバート・レッドフォードと日本の有名俳優だったが、第3候補ペアまで断られて、第4候補ペアの「デビッド・ボウイ坂本龍一」になった。ロケ地でのデビッド・ボウイとのにわかジャムセッションについて。

「ラスト・エンペラー」のサウンドトラック録音(アビーロードスタジオ)で、坂本龍一が当時最先端のマルチトラック方式で録音していたところ、古い録音方式しか知らなかったベルトリッチ監督が訪れて、「ブラスがいないじゃないか!ブラスパートは明日録るって!?[今]ブラスを聞きたいんだ!」など当惑&憤慨。

音楽配信という販売方法にいち早く着目した。

山田洋次監督作品「母と暮らせば」について。日本映画界における山田洋次監督の存在の大きさ。黄金期(1950-60年代)の日本映画の音楽を思わせる音楽を作りたいという意図で作曲した。

 

 

20180106:

年明けに、教授のドキュメンタリー映画Ryuichi Sakamoto: CODA」を観に行きました。観に行って良かったと思いました!

昨年、この映画に関する記事が日経に載っていましたが、生ピアノを「近代技術で鋳型にはめられた」、人工技術で自然の力を抑え込んだ存在としてとらえ、映画の中で、自然の力による本当の意味で自然な音を追求されている教授に、とても感動しました。

生ピアノはアコースティックだから自然で、電子ピアノやエレピやシンセは電気を使うから不自然、ではなくて、自然の摂理からすればどちらも不自然なんだと思いました。

映画の中で、YMO時代の教授が、速弾きを披露したあとで、「シンセサイザーは人間の身体能力では不可能な速さの演奏を可能にする」と、10年も20年も練習に費やすことに対して語っていたのも印象的でした。

12平均律による音が「ミュージカルサウンド」で、自然音は「ノイズ」、という認識は、実は逆で、自然界においては、人工的に調整した12平均律が「ノイズ」なんですね。

ツェルニーなどのドソミソドソミソに私が感じるカルキ臭さというか不快感は、人工的な12平均律の「ノイズ」によるものなのかもしれないと思いました。

明治維新のあと、日本では、理論的に体系化された西洋の音楽が進んだ優れたものとされ、江戸時代までの日本の音楽は遅れて劣ったものとされてきました。

20世紀の西洋音楽(現代音楽)が、ガムランやインドの音やリズムを取り入れたり、無調になっていったり、ついには楽器を演奏しない演奏にまでたどり着いてしまったのは、理論的に作られた音楽を、楽器を使って奏でる限界の中で、理論的に苦闘した末のことだったのでしょうか?

 「ピアノが象徴する近代の音楽体系への絶望は実は10代からあった。だから民族音楽電子音楽を勉強した」と、さきほどの日経記事にはあります。森羅万象に音源を求める教授は、日本の音楽家なんだなぁと思いました。

 

もとの記事(下記ほか):

https://ameblo.jp/tokyotoad/entry-12341642798.html?frm=theme

 

tokyotoad