ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

絶対音感はズレるのか?② - 絶対音感と相対音感: 耳コピ&移調との関係

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以前、こんな記事を書きました:

tokyotoad1.hatenablog.com

 

その後、「絶対音感のほうが偉くて相対音感は劣っている」という世間の認識が変わってきたように感じる今日この頃です。

 

これは、西洋音楽が進化してトルコなどのオリエントの音楽の要素を取り込んだ結果、とくにクラシック音楽後の現代音楽においては、「絶対音感を持っているのであれば、マイクロトーナルなレベルの音感を持っているんだろうな? え?持ってないの? じゃぁ、この曲は演奏できないだろ? 作曲家の楽譜を再現するだけの演奏家としてはプロではやっていけないよ」という世の中になってきたこともあるのではないかと思います。 A=440hzと決定した歴史的な経緯も広く知られるところとなり、絶対音感の基準となる音の周波数が絶対的なものではないことが一般認識になってきたこともあるのかもしれません。

また、超一流のプロの音楽家たちが「自分は相対音感だけ持っている」と公言することも多くなってきたかもしれません。 

いずれにしても、インターネットによるサイトや動画によって伝えられる情報量の増大は世の中を変え続けている。大変なことだと思います。

 

一流のプロの演奏を観たり聴いたりすると、プロの世界では、絶対音感の有る無しとかノーミスで超絶技巧の演奏ができるできないよりも、音楽のセンスの有無がモノを言うのだな、と感じます。 音楽センス...。 無い人にとっては、極めて残酷な要件です。 それから、表現力。 表現力は、その人の人間性の鏡です(怖いですね。技術的にはどんなに上手でも冷たくて寒々しい音、技術が素晴らしい上に軽快で楽しく喜ばしい音や心温まるおおらかで優しい音、技術を忘れさせるような強烈でエッジの効いた珍妙で個性あふれる音)。 人当たりの良さも死活的に重要です(どんな仕事でもそうですが)。

 

Rick Beato氏が動画のひとつで「絶対音感は50歳前後からズレ始めて60歳前後で失われるという説がある」と言っていましたが、私の個人的な経験では、そうかもしれない、と感じます。

 

サンプル数は少ないのですが、中年以降に絶対音感がずれた人を2人知っています。 一人は私で、もう一人は、以前ピアノ会に参加していた頃にご一緒した人でした。 子どもの頃は真ん中のド(C4)をドンピシャリで当てられたのに、中年になったら下に半音~全音ずれてしまった、というのです。 

 

絶対音感といっても、私の場合は子どもの頃のチーチーパッパレベルのピアノで培われた幼稚な音感ですが、社会人になって音楽から遠ざかった後に中高年になってようやく音楽を再開したときに、耳コピしようとしたらキーがずれていたので、そのお粗末な絶対音感がズレたとわかりました。 

絶対音感を取り戻すんだ!」と、ドリルなどを悲愴にやったこともありましたが、ぜんぜんもとに戻りません。 そんなとき、Beato氏が紹介していた説を知ったので、前向きに明(あき)らめがつきました。 

しかも、ストラヴィンスキーコルトレーン相対音感しかなかったそうなので、私ふぜいが絶対音感がなくって何が悲しむべきことなのか、もはや全く意味不明になりました。

 

そして、クラスメートたちがフォークギターでカポでキーを自在に変えて演奏するのを呆然と見ていた中学時代を思い出しました。 中学生だった当時、私はお小遣いをはたいてフォークギターを買ったもののFメイジャーコードで挫折したよくあるクチですが、指の位置を変えずにキーを変幻自在に変えらえれる、あのカポに恐怖を覚えたことも、ギター挫折の大きな要因です。

 

でも、ギターを買ってしまったし、何が何でも弾きたいので、フォーク&ニューミュージック全集をめくって何か弾ける曲はないかと探しました。 Fメイジャーが出てこない曲を! でも、当たり前ですが、キーがFメイジャーの曲は全滅です。 じゃあ、この曲はキーがFメイジャーじゃないから、という曲は、やっぱりFメイジャーが出てきたり、そうじゃなくてもFメイジャー的な、つまり、人差し指を6つの弦に全渡しする別のコードが使われている、この曲も、この曲も.....。 カポを使うと頭が混乱して弾けないので、とにかくカポ無しでいける曲を必死に探す。

 

そして私が最後にたどり着いた一曲が、さだまさしの「無縁坂」でした。 私は、さださんの曲は「天までとどけ」とか「パンプキンパイとシナモンティー」とか(〽パンプキンパイとシナモンティーに薔薇の形の角砂糖...って、当時を感じさせる組み合わせだね!)、さださんの明るめの曲が好きなんだけど、唯一弾けそうな曲が「無縁坂」。 マイナーキーで、しかも歌詞が暗い....。 〽運がいいとか悪いとか、人はそれぞれ口にするけど、そういうことって確かにあると、あなたを見ててそう思う。忍(しのぶ)不忍(しのばず)無縁坂、かみしめるような、ささやかな僕の母の人生。 暗い...。暗すぎる...。 それでも人差し指全渡しコードが出てこないみたいなので何とか弾けそうだ、移調すれば!

 

ということで、オリジナルキーをEmに移調して弾きました。 曲調が暗くわびしげな「無縁坂」の良いところは、アルペジオでしんみり演奏できる点です。 ストロークだと、6弦全部を鳴らしているなかに、ひとつのコードだけ3弦だけ弾いてゴマかそうとすると、音の厚みが違って目立ってしまうけど、アルペジオなら低音域の弦を弾かなくてもなんとかゴマかせるのでは、と思ったのです。 苦しまぎれのインチキ奏法で、時おり、というか何回か出てくる複雑なB7(ドミナント7)を切り抜けようとしたのです。 コソクなやり方です。 しかも、ドミナント7に対してコソクな手を使うという、はっきり言って絶望的な行為です。 でも、どんな手をつかってでも、ギターを弾きたい。 そして、私のギターのレパートリーは、Emに移調した「無縁坂」から1曲も増えませんでした。 人差し指全渡しコードが弾けないうえにそんなインチキアルペジオ奏法ではすぐに行き詰まるのは当然です。 こうして、私のギター人生はすぐに終わりました。 

 

しかしながら、移調によって、1曲だったけど、ギターのレパートリーができたことは喜びでした。

 

私が移調ができた理由は、子どもの頃のピアノレッスンによってドソミソレベルの絶対音感はあったことと、白鍵メインのキー中心のお子さまピアノレッスンによって黒鍵が多いキーに対して苦手意識があったからです。 幼稚な絶対音感と白鍵メインのキーしか弾けないハンデを、移調によって何とか切り抜けようという工夫を、無意識にしていたのです。 テレビから聞こえてくるテレビまんがの主題歌や歌謡曲を覚えてズンチャッチャ演奏するときに、黒鍵が多そうなキーの時はハ長調ト長調、マイナーキーはイ短調などに変えて弾く。 こうして、キーシグナチャーの黒鍵数を最少化する工夫を常にしていたので、ピアノ教室で移調を教わった時には、すでに移調が得意でした。 人間は考える葦である。 Rhymesterが歌うように、K.U.F.U.(工夫)は人間の最も大切な資質です。

 

私を移調に駆り立てたのは、ただただ、テレビやラジオから聞こえてくる楽しくてカッコイイ音楽を自分でも弾いてみたい!という思いだけでした。 「移調を勉強しなれば」みたいなことは一度も思ったことはありませんでした。 「先生に言われたからマインドセット」や「勉強しなければマインドセット」では、得意にならないと思います。 教えて知恵袋的なサイトで、ピアノ科の学生が「曲の演奏の練習に時間をかけたいので、移調については時間をかけずに上達したいが何かいい方法がないか」と聞いている質問を見たことがあります。 その学生さんが移調が上達することはないでしょう。 だって、「時間をかけずに手っ取り早く上達したいマインドセット」で上達するものは、この世に無いからです。 耳コピも然りです。 耳コピなんて、勉強したり練習したりするものではありません。 私のようなピアノ適当弾きでも、ギター弾き語りでも素人バンドでも何でも、音楽の演奏を楽しんでいれば、大抵できるようになるものです。 「大好きなこの曲を演奏したい!あの曲もやってみたい!」という強い欲求があれば、時間を忘れて何度も何度も聴いて書きとったり、友達と教え合ったり、歌詞コード集で調べたりしているうちに、いつの間にかできるようになってしまうからです。 移調も耳コピも、上達の秘訣は、自分の好きな音楽を楽しんで奏でるのが大好きなことだと思います。

 

 

とはいうものの、私は、移調することによって、黒鍵が多いキーを避けてばかりで、黒鍵が多いキーへの苦手意識はなくなりませんでした。 

そして、中高年になってピアノを再開したら、幼稚な絶対音感までズレてしまっていて、私のささやかな音楽は混乱しました。

 

ところが、絶対音感がずれたことで、思わぬ良いことがありました。 それは、耳コピするときに、3度までは勘違いしてキーをズラして直接コピーできるようになったことです。 子どもの頃からポリトーナルに触れていると簡単にできるのかもしれませんが、私の場合は、歳をとって絶対音感というアンカーが失われたことで、たとえばキーがGbメイジャーの曲をDメイジャーに勘違いして五線紙にトランスクライブできるようになりました。 ついに私は、中学時代に畏れたギターのカポを、自分の脳内に持つことができたのです。 「脳内カポ」を手に入れた喜びは大きいものです。

 

ただし、脳内カポに頼ってばかりでは、黒鍵が多いキーを、自分にとって心安いキーにトランスポーズしてばかりで、いつまでたっても黒鍵が多いキーが苦手。 これを解決するために、ここ3年ぐらいいろいろ工夫した結果、今では黒鍵が多いキーもずいぶんと心安くなりました。 これによって、オリジナルキーで弾けたり、どんどん転調する曲も気軽に弾けるようになりました。

 

以前、年配の幼稚園の先生と話をしたことがあります。 

その先生の話ですが:

「若いころ受けた、幼稚園の先生の資格試験に、ピアノ演奏の実技が含まれていた。 自分はピアノを習ったことがなかったので、試験に向けて課題曲を一生懸命練習した。 そして、実技試験の日がやってきた。 私の番が来て、私は試験場で課題曲を弾き始めた。 ところが、弾き始めたとたんに、試験官のピアノの先生が驚き慌てふためいた。 私の演奏は、キーが半音ずれていたらしいのだ。 しかし、私は、そうとは知らずに、その曲を最後まで弾ききった。 私が弾き終わると、ピアノの先生がビックリした顔で「あなたは、その曲を半音間違えて弾いたのよ!」と言った」 

という話でした。

 

私はこれを聞いて、とても興味深い話だと思いました。 私が想像するに、おそらく彼女は、試験にむけて課題曲の楽譜を見ながら練習するうちに、ふとしたはずみで、ぜんぶの音符を半音ずらして認識して弾くようになったのではないか。 試験対策に急きょピアノのレッスンを受けたでしょうし、模範演奏のレコードやカセットテープも聴いたのでしょうが、彼女は、自分の演奏が原曲のキーからずれていても何の違和感も感じなかったのではないか。 そうです、彼女は「脳内カポ」を持っていたのだと思います。 そして、実技試験で彼女が披露したのは、キーを半音移調した、完璧な演奏だった。 つまり、彼女は完璧な相対音感を持っていたのです。 

 

鍵盤楽器でキーを半音ずらすとどうなるか、鍵盤楽器をやったことがある人はすぐにわかるはずです。 曲の用途や演奏者のニーズから察するに、課題曲のキーは、ハ長調ト長調などの、白鍵ベースのキーだったことでしょう。 それを半音ずらせば、とたんに黒鍵だらけのキーになります。 ピアノがほぼ初心者の彼女の「半音ずらし演奏」に試験官の先生がビックリしたのも、無理はないことでしょう。

 

ピアノがほぼ初心者の人が、オリジナルキーから半音移調して演奏することができる。 これに対して、ピアノを習ったことがある人は一体どうだろう? そして、試験官のピアノの先生はさぞかし驚いたことだろうが、考えてみれば、そもそも、そんなに驚かなくてはいけないことだったのか?  もしかすると、人はだれでも、脳内カポを持ってこの世に生まれてくるのかもしれない。 子どもの頃にピアノを習わなければ、その脳内カポはずっと無くならずに、中学になるとフォークギターにカポをつけて好きなキーで自由に演奏できたり、課題曲のキーを半音ずらして弾くことができるのかもしれない。 では逆に、ピアノを習うと、どうして、脳内カポが消滅してしまうのか? そして、脳内カポ(=相対音感)を潰した代償として手に入れた絶対音感を、絶対音感しかないことを、音楽ができることの象徴のように意味づけして自慢したり、さらには、相対音感だけを持っている人を見下したりすることは、実は、本末転倒なのではないだろうか? 

 

2020年7月18日に追記: 相対音感だけを持っていたストラヴィンスキーは、もしかすると脳の中にカポを2つ以上持っていて、それらを同時に使って作曲していたのではないか? Coltrane changes は、コルトレーン相対音感だけを持っていて絶対音感の「くびき」から自由だったことに関係があるのではないか? 音楽がコーダルからモーダルへシフトした20世紀以降は、相対音感が音楽のベースになったのではないか? 古典派やロマン派の作品を楽譜どおりに弾くことが主体のクラシックピアノ教育によって絶対音感だけしかない人たちが作られることの背景は、実は、この辺りにあるのではなかろうか。

 

*「脳内カポ」という言葉は私が作った造語だと思ったら、検索したら、ずいぶん前にこの言葉を使っている人がいらっしゃるようです(ギターをやっている人のようです)。 Adam Neelyさんは動画のひとつで、「ホーンなどの移調楽器の人は、ギターのカポを脳の中に持っているようなものだ」という内容を話していました。

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