ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

大人のピアノは、レッスンを受けるべきか?独学か?_005

 

☆ 今年(2020年)に入って、ステイホームの影響もあるのか、春~夏にかけて、連日200前後のアクセスがあり、最近もやはり1日に200前後のアクセスを頂いています。 驚くとともに、もしも、独学で鍵盤楽器を楽しんでいらっしゃる方々の参考や反面教師になっているのであれば、嬉しいことです。

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「大人のピアノは、レッスンを受けるべきか?独学か?」のタイトルのシリーズの記事003に書いた一部を、こちらに移すと同時に、

今現在の、そしてこれからずっと、私が思っていくであろうことを書きます。

 

記事001の冒頭にも書いたことですが、

「ピアノを習うためにピアノの先生のレッスンを受ける」

のではなくて、

「音楽を楽しむために音楽の先生に音楽の楽しみ方を教えてもらう」

という気持ちで先生選びをするのが、理想的だと思います。

 

とくに、楽器を演奏して他人さまからちゃんとお金をもらってご飯を食べていこうと思っている人は、なおさら、ひとつの楽器というツールを通して音楽そのものをマスターしていくことが必要なんだろうなぁ、と思います。

というのは、もはやプロの世界では、「 1 種類の楽器を演奏することしかできません!」では、まったく通用しないみたいだからです。 通用するのは、その楽器におけるトップの中のそのまたトップの数人ぐらいしか許されないのでは、と思いますが、トップ中のトップの人たちに限って、本業の楽器以外の楽器もかなりのレベルで演奏できて、しかも作編曲もこなすんだなぁ、と思います。

 

一流の音楽家の中には、ギターその他の楽器も弾けるピアニスト/キーボーディストや、子どもの頃にピアノや電子オルガンを習っていたギタリストや、ドラムがたたけるチェリスト/ギタリストや、ギターやピアノを弾ける管楽器奏者がゴロゴロしていて、しかもその多くが、作曲や編曲をこなします。 DTMスキルがデフォルトであり、ミキシングなどの現場の録音技術に詳しい人もいます。 自称プロや二流のプロではない、正真正銘のプロの世界はすさまじい世界だと思います。 私が高校卒業後に音大に行っていたとしても、結局「ピアノの先生」という名の事実上の主婦業になるのが関の山だったんだなぁと思います。 であれば、今の自分の身分のほうがマシかなぁ、と思ったりします。

 

そして、今現在、私が習っている先生は、そのようなプロ中のプロの先生方です。

もっとも、レッスンを受けるという形式ではありません。

2人の、超一流のプロのピアニスト/キーボーディスト/作曲家の音楽を視聴したり、演奏動作を真似てみたり、スゴイと思った曲を自分なりに耳コピして譜面に書いて弾いてみたり。 私にとっては、これが最高のレッスンです。 何といっても、本物の人たちの音楽が教材なんですから。 謝礼の支払いは、彼らのCDや音源データや楽譜を買ったり、ライブに行くこと(当節がらオンラインライブ視聴チケットの購入も)だと思っています。

この2人のピアニストさんは、一人が50代のアメリカ人、もう一人が40代後半の日本人の方ですが、2人ともアコースティックピアノで目から鼻に抜ける演奏とはこのことだ!というようなものすごい演奏をします。 鍵盤の間やウラまで知り尽くしている、というか、音楽を知り尽くしているからこそできる縦横無尽のアドリブ演奏は圧巻です。 当然のことながら作曲や編曲のセンスがズバ抜けていて、しかも、サイドマンやサポートミュージシャンとして業界内で厚い信頼を得ている人たちです。 アメリカ人のピアニストさんは、ルーツであるアフリカのゴースト(精霊)たちからの霊的啓示を音に媒介しながら、フリージャズや現代音楽を軸に21世紀までの大衆音楽までひっくるめた世界観を追求する人で、新作アルバムが世界の著名なビジネス紙(というか世界的な英語のビジネス紙といったらこれだろう)で紹介されるなど、欧米のスノッブなインテリ層にとりわけ人気で、どちらかというとアメリカよりもヨーロッパ各地で開催されるジャスフェスティバルの常連ピアニストですが、かつてアメリカの著名サックス奏者がリーダーをする、ベーシストがいないフュージョンバンドでは、ベースのパート(左手)とキーボードのパート(右手)の一人二役をこなし、左手で複雑なベースラインを高速弾きしながら、右手ですざまじいキーボードソロを披露していました。 かたや日本人のピアニストさんは、ジャズを軸にフュージョンからポップス・ロック・エレクトロニカから劇伴音楽まで、商業音楽全体を網羅する守備範囲の広大さで、サポートミュージシャンとしても引っ張りだこの人ですが、なんといっても曲作りのセンスが卓越しており、一般の人が聞いてとても心地よいサウンドでありながら、プロや音楽愛好家をうならせるコード進行を絶妙に入れ込んだ曲を多作するうえに、センスの塊のような音を次から次へと繰り出す即興演奏を行い、さらにダメを押すように、鍵盤楽器以外のいろいろな楽器も演奏してサポート演奏やレコーディングまでしてしまうという、全方向的に死角が見当たらない人です(この人に死角があるとすれば、フルオーケストラ用の作曲でしょうが、そこまでやられてしまっては、音大作曲科出身者の居場所が無くなってしまいますし、この人の真骨頂は、同じ超一流の共演者たちとのアドリブ演奏の掛け合いによる高度な化学反応が昇華するバンド形態の音楽や、耳に優しいうえにさりげなく異次元レベルのピアノ即興演奏にあると思います。個人的には、坂本龍一氏以来はじめて度肝を抜かれた音楽家で、はっきり言って自作曲の作品(CDなど)が安すぎると思います(2倍の値段でも安いと思う))。 

もっとも、この2人に何か死角があるとすれば、人前で話すよりも鍵盤を弾く方が気が楽な人たちではないか、ということぐらいだと思います。 アメリカ人の方は、アメリカ人らしく、インタビューなどで自分の考えを自然に問題なく話しますが、ソツがないようにちょっと気をつけて話している雰囲気があり、基本的にシャイな人だそうです。日本人の方は、話すよりも演奏のほうが明らかに如才がないというか、作曲や演奏の流暢(りゅうちょう)な無双ぶりとトークスキルのギャップがいささかあるようで、この人がもっと如才なく話せたら世の中にもっと知られる存在になるだろうに、と思いますが、その分の才能は、音楽のズバ抜けた才能のほうに持っていかれたのでしょうし、B-to-Bのプロの業界内では十二分に知られた人だと思うのでもうそれで十分でしょう)。

2人とも、子ども時代にピアノのレッスンをほとんど受けておらず(2年くらいか?)、音楽大学出身でもない、という共通点もあります(日本人のピアニストさんは電子オルガンを数年習っていたようで子どもの頃から作曲で頭角を現していたようです)。 アメリカ人のピアニストさんは、子どものころ、お父さんが趣味で聞きよう聞きまねで弾くアコースティックピアノが家にあったそうですが、日本人のピアニストさんの家にはアコースティックピアノはなかったみたいです。 2人とも、中高時代からバンド活動を始めて、10代後半からライブハウスでピアノの修業を積み、一般大学/音楽専門学校の在学中にプロとして働き始め、長年の下積み時代を経て、今や「一流の一流」の地位にいます。 「ピアノは幼い頃から何年もピアノの先生に習わないと習得できない」という考えは、女子どものお手習いの世界の話ではないか?とさえ思えてきます。 2人とも、多感な時期にシンセサイザーを買ってもらったようで、それに熱中したことが、その後の音楽のキャリアに大きく影響しているようです。 また、ジャズが音楽の基礎になっていることも、2人の共通点です。 

趣味で音楽を楽しむ場合は、ライブに行ったりオンラインライブを視聴したりして、このような超一流の人たちの演奏をじかに体験することに勝るレッスンはない、と思います。

 

去年の年末はバッハのコラールをやっていましたが、今年は本当に思いがけず、「あと何年続けたらできるようになるかなぁ?」と思っていたことが、いくつかできるようになりました。 中学時代に呆然(ぼうぜん)と聞いていた大貫妙子女史の初期の曲を、間奏部分の教授のピアノソロを含めてなんとか耳コピして自分なりに演奏できるようになったり、ユーミンの曲に(自分としては)カッコいいアドリブをつけられるようになったり、畏れ多くも上述の日本人ピアニストさんのカッコよすぎる曲の耳コピに果敢にも挑戦したくなるような気持ちにまでなったりと、大きな進歩がありました。 それは、先生と仰ぐ2人のピアニストさんたちの曲をはじめ、興味のある音楽を聴きまくっていたことに加えて、今まで3年ほど、音楽文法のいろはの活用を地味にポツポツとキーボードで練習したり、今年になってからようやくジャズ的なコードをやっぱり地味にポツポツ押さえ始めたり、耳コピしたリックをたどたどしく何度も弾いたりしていたのが、じわじわと効いてきたのかもしれません。 3年以上かけて、ようやく、真っ白な頭のなかに、点がぽつりぽつりと出来てきて、それがちょっとずつ線になっていく感じがありますが、点も線もまだ数本といった感じで、ここから面になっていくまで寿命があるかどうか?(プロの方は脳内が立体になっているでしょう) それでも、脳も体力も下り坂の50代で、自分の身体スペックや可能な練習時間を考えると、大いに良しとします。 中学卒業時に、通っていた音楽教室チェーンからの「来年度から新しくジャズコースができますが、どうですか?」という電話を断った時に、経済的な理由のために自分で自分の夢を踏みつけざるを得なかったことが、その後の人生でずっと悲しい後悔になっていましたが、その代わりに自分なりに一生懸命実学を学んで仕事を続け、いろいろな人生の節目を経て、ようやく今、40年のブランクの後に、ジャズのハーモニーを取り入れた音楽を自分で好きなように学んで楽しめる暮らしができていることに、大きな喜びを感じます。

 ( ↑ 2021年現在、音楽の道に進まなくて本当に命拾いしたと、心底思います。 もし私が、中学時代に親に無理を言って音大なり音楽専門学校なりに進学して音楽の道を目指していたら、今の生活は絶対に実現しなかっただろうし、今ピアノや音楽を楽しむ余裕も無かっただろうし、今持っているピアノを家で弾いている日々は実現しなかったと思います。 そう思うと、背筋がゾーッとします。 もちろん、そう思えるようになるまで、就職してからの何十年は、何かに追われるように生きていました。 ようやくホッと息がつけるようになった気持ちになったのは、ここ1~2年のことです。 もっとも、多くの人の人生はそうなんだろうな、と思います。)

 

 

著名な演奏家に直接レッスンを受けるのも、もちろん大きな学びになると思います。私も、CDを何枚も出していてコンサート活動も活発に行っている、あるピアニストさんにレッスンを1回だけですが受けましたが、その際に、そのピアニストさんが、専業のピアノの先生が決して言わないような、そのピアニストさんならではの演奏技術に関することを、ポロっと言ったので、ビックリしました。 へぇー!プロって、そうなんだー!と思いました。 それから、プロの手を見せてもらったことも、とても有益でした。男性にしては背も高くなく、手もあまり大きくないにもかかわらず、10度以上が届く方で、手のひらをパッと開いた瞬間にモリアオガエルの手のようにビャッ!と広がったので、ああ、お金を稼げるプロの手はこうなんだぁ...。と、思い知りました。

 

以下は、記事003に書いた、そのプロのピアニストさんに関することをこちらに移したものです:

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子どもの頃に習ったピアノの先生は、知ってか知らずか、レッスン代の時給ベースでご自分の10倍も価値が高いプロのピアニスト先生を私に紹介してくださり、そのピアニスト先生が、私が心の底から欲しかった「あなたはできる!」という自信を、事実(=発表会の演奏順番)という最も強力な形で私にくれました。 ところで、その発表会が終わった後日に、子どもの頃の先生のところのレッスンで、私がピアニスト先生の発表会で演奏したことを話したところ、子どもの頃の先生は、とても驚いた顔になり、目を真ん丸くして、「そうなの....、よかったわねぇ...」と、まじまじと私の顔を見つめました。 「どうして(このピアノが下手な)彼女が、あのピアニスト先生の発表会に出られたの?」と言いたげな、その時の先生の当惑した顔は、忘れられません。 その当惑した表情を見て、私は、「(親と同居する「家事手伝い」や、安定収入の有る男性と結婚した主婦が、近所の子ども相手に教えるピアノ教師ではない、)プロの演奏家が本業の演奏活動の合間に生徒をとって彼らの発表会を開く場合、(発表会のための特別レッスンの代金や発表会への参加費用を徴収して開催する)発表会それ自体が演奏家にとって収入源のひとつなんですよ」という、プロの世界でよくある事情については、お教えしませんでした。 そしてもちろん、その発表会で私が第2部(ピアノ教師以上の部)に入れられて、私の演奏順が2人の現役ピアノ教師(ピアニスト先生の生徒)の後だったことも、言いませんでした。 もしそのことを言ったら、子どもの頃のピアノの先生の頭は更に混乱してしまうだろう、と思いましたし、何よりも、彼女がそのピアニスト先生を不当に低く誤解してしまうリスクを、ピアニスト先生のために、そして、私自身のために、どうしても避けたいと思ったからです。 そのピアニスト先生は、演奏することで収入の大半を得ている著名なプロのピアニストです。 そして、そのピアニスト先生は、教える魔法を持っていました。 「あなたはできないのよ」とは正反対の「あなたはできる!」というメッセージを、言葉を超越した次元でレッスン中に送ってくれる、励まし上手の方でした。 発表会の第一部(アマチュアの部)に出演した社会人の生徒さんたちは、生き生きしていました。 みなさん、(大昔の舞踏会のお姫様や歌手芸人といった「見世物」が着るようなロング丈のステージ衣装ではなく、) 一般社会人の節度が感じられる、ちょうど良い「晴れの装い」をして、社会人らしい明るく如才ない自己紹介の後に、伸び伸びと楽しそうに演奏して、しかも、皆さんとても素晴らしい演奏でした。 はっきり言って、皆さんよりも格段に演奏テクニックが優れているはずの第二部(ピアノ教師以上の部)のピアノ教師たちの演奏よりも上手に聞こえました。 それは、社会人の生徒さんたちが、生きる喜びをいっぱいに感じながら演奏したからだと思います。 「社会人になってから、自分が弾きたかった曲を、高いレッスン料を払って(というか払えるような経済力を獲得して)著名なピアニストさんに直接教えてもらって、こうして(高い出演費用を払ってというか払うことができて参加している)発表会で演奏している自分はとても幸せだ!」という喜びが、演奏に表れていたからだと思います。 そして私も、そのピアニスト先生に良い魔法にかけてもらったのだ、と思いました。 でも、子どもの頃のピアノの先生は、良い魔法のことがわからないだろう、と思ったのです。 私は、せっかく一流のプロの演奏家にかけてもらった良い魔法を、子どもの頃に習った主婦ママさん先生に消されたくなかった! 

子どもの頃のピアノの先生にとって、「下手な生徒」という私に対する認識は、私が子どもの頃も大人になっても、変わりませんでした。 でも、実は、子どもの頃に一度だけ、先生に褒められたような?ことがありました。 それは、中学生のときのピアノの発表会のことでした。 発表会に向けての、自作曲の演奏レッスンでは、注意されてばかりでした。 レッスン中の先生の表情は、もううんざり、みたいに、私には見えました。 2,3年前に、発表会の演奏順を、年下のDさんと入れ替えられていました。 発表会のステージの横で待っている間に、私はムシャクシャしてきました。 腹が立ってきました。 そして、次に私が演奏する番になったとき、私の心の中で、何かがブチ切れました。「もうどうでもいいや!」と、やけっぱちになりました。 と同時に、「だったら、いっそのこと、自分の好きなように、思いっきり弾いちまえ!」と思いました。 その瞬間に、心がパーッと晴れ晴れしました。 セイセイしました! ステージに上がってピアノの前で、満面の笑みでお辞儀をして、ウキウキと弾き始めました。 夢中で弾きました。 間違えたらどうしよう?とか、自分は下手なんだ、とかいう気持ちは全く起こりませんでした。 無心で夢中で、はじけとんで弾きました。 弾き終わってステージを降りると、先生がビックリした顔で私の顔を見つめながら、「意外と指が回るのね...」と言いました。 「意外と指が回るのね...」 これが、私が子どもの頃の先生からピアノの演奏に関してもらった、唯一の褒め言葉?のようなもの?です。 あの時の、ムシャクシャしてキレた気持ちと、先生のビックリした顔を、今でもはっきりと覚えています。 メンタルが演奏に大きく影響すると私が考えるのは、自分のこのような経験からです。 私は、子どもの頃のピアノの先生にとても感謝していますが、気持ちのやり取りは、ギヴ・アンド・テイクです。 子どもの頃、私は、先生と、先生の門下のピアノの上手な生徒さんたちに、私が持っていた自信を差し上げていたんだと思います。 そして、今から思うと、私は、子どもの頃に差し上げた自信をそろそろ返して頂こうと、大人になってから、先生の門を再び叩いたのかもしれません。 先生は、著名なピアニスト先生を私に紹介してくださり、代わりにそのピアニスト先生が、私が差し上げた自信を何倍にもして返してくれました。 まるで金融市場への長期投資のように、自信もどこかに長期投資すると、増えて返ってくるのかもしれない、と思います。 今私は、著名なピアニスト先生から頂いた自信と良い魔法を宝物に、ピアノを、音楽を、心から楽しんでいます。 そして、子どもの頃の先生の顔も、先生の存在自体も、だんだん透明になって、消えていきます。

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私にとって、ピアノの、音楽の、楽しく苦しい愉悦の道が、ようやく開けました。

 

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