以下は、20211213にアメブロに書いた記事:
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林芳正外相、いい仕事したね。
G7開催リバプール、しかも地元の超巨大スターのビートルズの博物館で余興(エンターテインメント)で弾くなら、
ビートルズ以外は有り得ない。
しかも弾いた曲が「イマジン」。
外交の国際会議の崇高な理念そのものといった曲。
誰からもグウの音も言わせない選曲だ。
そして、「イマジン」といえば、
日本にも縁が有りまくる。
そう、
ジョン・レノンの平和志向の作風に多大な影響を与えたのが、
奥さんのオノ・ヨーコだ。
だから、
日本国の林芳正外相の他に、
「イマジン」を弾くにふさわしい存在はいなかったのである。
この件についての第一報の記事を読んだとき、
「クラシック音楽好きらしい林外相、
まさかドビュッシーやバッハを弾いたんじゃないだろうね...(;゚Д゚;)
もしそうだったら3秒後に血の雨が降るよ....(;゚Д゚;)
100歩譲ってヘンデル?でもヘンデルはもともとドイツ人だし....(;゚Д゚;)」
と戦慄を覚えたが、
その後の詳細な報道で安堵したよ。
さすが、超高学歴ハイスペックの林芳正外相だ。
イギリスの音楽史上最大にして唯一の音楽家(グループ)の世界的な名曲を弾いて、
当然のごとく開催国イギリスの顔を立てた。
イギリス主催の国際首脳会議の場でフランス人の作った曲を弾いたら、
イギリスの顔に泥のパイを100万個投げつけるのと同じだからね(想像するだけでコワすぎ!)。
しかも、即興演奏で弾いたことがグッジョブ、というか、
外務大臣だから即興演奏で弾いて当然だ。
外相たちの夕食会の場面で、楽譜どおりに正確にミス無く弾くことほど、
野暮で興ざめな行為は、無い。
書かれた楽譜どおりに演奏する行為は、
大臣からの指示を間違いなくこなすことが役目の
ピラミッドの底辺のアシスタント事務員の仕事だ。
これに対して、
大臣の仕事は、毎日が即興演奏のようなものだ。
だから、
大臣は、
あらゆる事態に際して攻めた行動ができる、
真に有能な人間でなければ務まらない。
即興演奏ができることは、
クリエイティブな知性と
プロアクティブな応用力を持っていることの証しだ。
政治家や企業経営者といった、
人の上に立つ者に必要不可欠の資質なのである。
林外相、イギリスへの移動中の機内で既にネタを仕込んでいたのかな?
それについてはわからないが、
林外相の一発かましたパフォーマンスは皆さんの心に刺さったと思う。
国際会議も音楽演奏も仕事も何でも、人の心に刺さってナンボだ。
外相としてグッジョブの仕事をした。
ちなみに、
林外相は、子どもの頃に即興演奏を習ったことなんて、ないだろう。
じつは、
即興演奏の方法を教わらなければならない時点で、
即興能力が無いのである、いや実は、
子どもの頃の早い時点で、
人間が生まれながらに持っている即興能力を、
悪い魔女に封じられてしまったのである。
これが、巷(ちまた)の標準的なピアノレッスンの呪いだ。
もうひとつ:
マトモな人間であれば、
林外相の即興演奏のアラを探すような下品で低俗なことなんて思いつきもしないだろう。
林外相の仕事は、ピアノの演奏ではない。
彼の仕事は、諸外国と折り合いをつけながら日本国の国益を実現する、
外務大臣だ。
林外相の即興演奏には、
日本国の外務大臣としての凄(すご)みがあったことは明白だ。
趣味は、
こういう時に、最大限に生かされる。
林外相の即興演奏は、
すべてのアマチュアのケンバニストが目指す場所である。
【後記】林外相がまた海外でピアノを弾いたらしいが、今回は選曲がちとマズかったんじゃないのかな。 世界は英語圏の国だけではない。 英語を話さない国々の方が遥かに多い。 宗教的なこともある。 外務省さん、国外で林外相のピアノの虫がうずいた時のために、当たり障りのないような曲を外相にご注進しておいてっ! (詳細は以下の記事 ↓ ):
関連サイト(旧ブログ記事):
tokyotoad = おんがくを楽しむピアニスト
もとの記事@アメブロ:
日本の林芳正外務大臣がリバプールG7で「イマジン」をピアノ即興演奏 | おんがくの細道
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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。
「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。
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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。
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