ピアノ方丈記

音楽の彼岸にて【指の健康寿命を気遣いながら!】シニアのピアノ一人遊びの日々

ピアノ会で当たり障りのない話題

 

以下は、20220215にアメブロに書いた記事:

 

素人ピアノ愛好家たちが参加する

ピアノ会やピアノサークル練習会は、

大半の参加者たちが、当たり障りのない話題で歓談して

つつがなく和気あいあいと時間が流れるように取り計らうという、

社会人なら当たり前の対人スキルを発揮して

大概は穏やかに進行するものだが、

中には、そうではない人もいるため、

ともすると、

穏やかな歓談の時間が

参加者同士のマウンティング取り合い合戦

という、

凄惨な血の祭典になり果ててしまうこともある。

 

このような醜悪でトホホな事態を回避するために

私は、数年前まで各種ピアノ会に参加していた時分に

当たり障りのない話題として、

演奏者の選曲を褒める

という施策を採っていた。

ポイントは、

演奏者の演奏については一切言及しない

ということである。

演奏者の演奏を批評&けなすことは、無論もっての外だが、

演奏者の演奏を称賛し持ち上げることも、

事故のもとになるリスクが有るからだ。

というのは、

世の中には、本当にさまざまな人がいるので、

「うわーすごい!トリルがきれいでしたね~」 という、

半分は社交上の世辞みたいなものに対して

まっとうな社会人らしい受け答えができる人.........

ばかりではないからである。

称賛してくれた人の世辞や気遣いを受けとめつつ、

「いや~、それほどでもありません、お恥ずかしい」 とか、

「いやいや、○○さん(貴方)の先ほどの演奏も素晴らしかったじゃありませんか」

といったように、

社会に揉まれているあいだに、社交の場での

大人の言葉のキャッチボールができるようになりました.........

という、 人生のサバイバルのために死活的な

社交的な会話の訓練を受ける機会を、不運にも得られずに

身体だけが成人してしまって、

お世辞を言った人の気遣いにタダ乗りして、というか、

あろうことか真に受けてしまって、

「そうだろうよ、俺は上手いだろう!」的な

自分の演奏自慢の話をとうとうと語るような

困ったちゃんだったりすると、

「良かれと思って」世辞を言った良識ある人の良心が

食い尽くされ浪費されるばかりになってしまうからである。

もっとひどい場合は、

「そうだろうよ、俺はお前より上手いから、

さっきのお前のドヘタな演奏についてひとつアドバイスしてやろうか!」

みたいに勘違いする大バカ野郎だったりした場合は、

本当に阿鼻叫喚の凄惨醜悪な展開になってしまうからである。

 

しかし、ここで、

演奏者の演奏ではなく

「ステキなですね、なんという作曲家の曲ですか?」 と

演奏者の選曲を褒める

ようにすれば、

その人の演奏がピアノのお稽古的に上手いか下手か?という

その人本人のプライドにも関わる可能性のある

センシティブな側面に触れることで発生するかもしれない

会話事故のリスクを、

最初の段階で回避することができる。

 

この、

「ステキな曲ですね、なんという作曲家の曲ですか?」

のバリエーションとしては、

誰もが知っている曲の場合は、

「バッハがお好きなんですか? 」

とニコっとしながら尋ねてみるのも有りだろう。

ニコっとするのは、

「バッハを弾かれるなんて、良いご趣味ですね

という言外のお世辞メッセージである。

とりたててバッハである必要は、ことさら無い。

渋さ知らズがお好きなんですか?」

でも、メンデルスゾーンでも何でもよいのである。

  (↑とくに、

    渋さ知らズをピアノ会で弾くような珍奇な人は、

    筋金入りの趣味人、風流人であるに違いない。

    加えて、ピアノ会で渋さ知らズを弾くためには、

    本当の意味での音楽の総合力が無いと不可能だ。

    なんせ、楽譜が市販されているとは到底思えないから、

    その人は耳コピして弾いているに違いないし、

    渋さ知らズの曲だけに、

    即興演奏もバリバリ入れ込んで弾くに違いないからだ。)

 

このような、ニコッとしながらの'持ち上げコメント'は、

あくまでも、自然にやることが重要だが、

その人が演奏した作品の話題を振ることによって、

作曲家や、その音楽ジャンルへと会話を展開することができるので、

その人本人の演奏のピアノのお稽古的な巧拙という、

本来は他人にとっては最もどうでもいいことなのに、

ピアノ会では往々にして最もセンシティブでハザードリスクが高い話題から

限りなくどんどん遠ざかっていくことが可能である。

いいですね~、誰の曲ですか?

「これは○○というバンドの曲なんです」

「そうなんですか? 私は○○バンドの曲は、超メジャーな△△しか知らないので、もうミーハーなもので...。 はじめて聴きました。 とてもいいですね!」

「ほんとうにいいですよね! 好きでよく弾くんです。 これは○○バンドのキーボードの□□さんが作曲した曲なんです」

「へぇ、そうなんですか、□□さんの曲がお好きなんですか?」

「はい、それに、□□さんは、演奏が神なんです!」

「へー!そんなにスゴいんですか!? こんど動画でチェックしてみようっと!」

というふうに、

その人の趣味を持ち上げながら、 つまり、

その人の人物を持ち上げながら、

その人の知識や見聞を気前良くシェアしてもらえることも可能だ。

また

楽譜見せてもらってもいいですか?」

というのも、当たり障りのない良いフリだ。

「これですよ。 どうぞ。 でも、この出版社の楽譜よりも、あの出版社の楽譜のほうが見やすいっていう人もいるみたいですよ」

と、有益な情報交換に展開するかもしれない。

 

これらすべてに共通することは、

この場に居ない第三者を称賛する

ということである。

もっと詳しく言えば、

この場に居なくて、

自分とも相手とも、

個人的に何の面識も関わり合いも無い

三者の人や物を称賛することによって、

間接的に、

その人の趣味のお目の高さを称賛するように話を持っていく、

ということである。

何の関係も無い第三者を話題にすることで、

会話の的(ターゲット)から

自分も、相手も、外してしまうのだ。

そうすれば、

万が一、会話の内容に攻撃的なものが含まれてしまったとしても、

自分も、相手も、直接的な的になることがないので、

その場を安全に切り抜けることができる。

 

つまり、

演奏者とは何の利害関係も無い人物や物を使って、

演奏者の選曲眼を称賛することによって、

実質的に、

演奏者の存在自体を称賛するのである。

 

次回に続く...右下矢印

 

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

 

もとの記事@アメブロ

ピアノ会で当たり障りのない話題 | おんがくの細道

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。