音楽の彼岸のピアノ遊び

大人のピアノ道楽を満喫するピアノ一人遊びの日々

ピアノ会で当たり障りのない話題(続き)

 

以下は、20220216にアメブロに書いた記事:

 

前回の記事(⇒この記事

の続き:

 

ところで、

素人ピアノ愛好家同士など、

立場が同じレベルの人だけが集まる場で、

絶対にしてはいけないこと

互いが互いを

批評・批判・ランク付けすること

である。

 

「人は天(神)のもとに皆平等である」 とは、

福沢諭吉が言ったんだったっけ? 忘れてしまったが、

これは真理である。

人は、天(神)のもとに皆平等であり、

人を批評したり批判したり

何かの尺度を用いて優劣のランク付けすることができるのは、

人とレベルが上方に違う

天(神さま)だけである。

 

ところが、

この世を見渡してみると、

ありとあらゆる争い・騒乱・喧嘩・戦闘・戦争は、

同じレベルの人間同士が

互いを批判したり、

人間の集団(国や民族)同士で優劣をつけ合ったりすることから

始まっている。

宗教の違いに端を発する戦争も、

それぞれの神さまたちが争っているのではなく

それぞれの神さまを信じる人間同士が争っている。

 

   ひどい場合は、

   同じ神さまを信仰する異なる民族同士が

   それぞれの宗教的正義のもとに敵対し争っている場合もある。

   ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教 の対立や、

   キリスト教内のプロテスタントvsカトリックが、

   その典型的な例だ。

   

普段の生活でも同様である。

素人主催&素人参加のピアノ会やピアノサークル練習会で、

絶対にしてはいけないことは、

「素人」という同じ肩書の人間同士で

互いの演奏を批評したりランク付けすることである。

素人ばかりが集まっているんだから、

しょせんドングリの背比べにもならない、

塵あくたの背比べである。

目くそ鼻くそなのである。

どんなに「自分は演奏が上手い!」と思っていても、

素人である限り、

ピアノのお稽古的な上手い下手

という、

素人芸の域を超えることは、決してないからである。 なぜなら、

お客様が聴きたい曲を演奏することで他人さまからお金を頂戴して

その稼ぎで全うに生計を立てている

プロの演奏家によるお客様本位の客観的な玄人芸からみたら、

素人芸は、

自分がお金を払って自分が弾きたい曲を演奏するから、

演奏する目的と質が、自分本位で自分勝手の

主観的なものだからである。   

 

素人同士という

同じ立場の者同士で優劣をつけ合うようなことをすると、

必ず戦争の火種になる。

不本意なランク付けを受けた者たちが憤慨して会を脱退することになるなど、

あとあと必ずこじれていく。

具合が悪いことに、

素人同士の間には金銭の授受を伴うサービス行為が存在しないから、

「ボランティア」行為ならではの「シャレにならない側面」が有る。

「金銭」という媒介物に思いをくっつけて禍根を供養することができないので、

禍根が浮かばれずに渦巻いて残ることになる。

 

また、

人の演奏を聴いて

「なんだあの演奏は!

あんなに下手クソなのにショパンの○○を弾きやがって!

身の程知らずも甚だしい!」

みたいに憤る人も中にはいるらしいが、

はっきり言ってお門違いも甚だしい。

「あんた、ショパンの一体何なのさ?」

なのである。

あんたがショパンのとーちゃんやかーちゃんならばいざ知らず、

いや、21世紀にそんなことは絶対に有り得ないが、

仮にあんたがショパンの遠い子孫であったとしても、

現在、

ショパンの作品はすべて著作権切れのパブリックドメイン作品なので、

どこの誰がどのように再現演奏しようと、

どのようにキテレツに解釈して複製しようと、

どのように面白おかしく加工して原曲から変わり果てた代物をこしらえようと、

ショパンの作品を使用する人がそうする勝手自由を

何人たりとも制限することは、できない。

 

続き: 

 

 

 

 

tokyotoad=おんがくを楽しむピアニスト

 

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このブログ「おんがくの彼岸(ひがん)」は、私 tokyotoad が、中学卒業時に家の経済的な事情で諦めた「自分の思いのままに自由自在に音楽を表現する」という夢の追求を、35年ぶりに再開して、独学で試行錯誤をつづけて、なんとかそのスタート地点に立つまでの過程で考えたことや感じたことを記録したものです。

「おんがくの彼岸(ひがん)」というタイトルは、「人間が叡智を結集して追求したその果てに有る、どのジャンルにも属さないと同時に、あらゆるジャンルでもある、最も進化した究極の音楽が鳴っている場所」、という意味でつけました。 そして、最も進化した究極の音楽が鳴っているその場所には、無音静寂の中に自然界の音(ホワイトノイズ)だけが鳴っているのではないか?と感じます(ジョン・ケイジはそれを表現しようとしたのではなかろうか?)。 西洋クラシック音楽を含めた民族音楽から20世紀の音楽やノイズなどの実験音楽まで、地上のあらゆるジャンルの音楽を一度にすべて鳴らしたら、すべての音の波長が互いにオフセットされるのではないか? 人間が鳴らした音がすべてキャンセルされて無音静寂になったところに、波の音や風の音や虫や鳥や動物の鳴き声が混ざり合いキャンセルされた、花鳥風月のホワイトノイズだけが響いている。 そのとき、前頭葉の理論や方法論で塗り固められた音楽から解き放たれた人間は、自分の身の中のひとつひとつの細胞の原子の振動が起こす生命の波長に、静かに耳を傾けて、自分の存在の原点であり、自分にとって最も大切な音楽である、命の響きを、全身全霊で感じる。 そして、その衝動を感じるままに声をあげ、手を叩き、地面を踏み鳴らし、全身を楽器にして踊る。 そばに落ちていた木の棒を拾い上げて傍らの岩を叩き、ここに、新たな音楽の彼岸(無音静寂)への人間の旅が始まる。

tokyotoadのtoadはガマガエル(ヒキガエル)のことです。昔から東京の都心や郊外に住んでいる、動作がのろくてぎこちない、不器用で地味な動物ですが、ひとたび大きく成長すると、冷やかしにかみついたネコが目を回すほどの、変な毒というかガマの油を皮膚に持っているみたいです。

 

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↑ 不本意にもこんな野暮なことを書かなければならないのは、過去にちまたのピアノの先生方に、この記事の内容をパクったブログ記事を挙げられたことが何度かあったからです。 トホホ...。ピアノの先生さんたちよ、ちったぁ「品格」ってぇもんをお持ちなさいよ...。