おんがくの彼岸(ひがん)

大人の独学ピアニストtokyotoadのブログ

「上を向いて歩こう」と 、「♭6」な日本人

 

アダム・ニーリーさんの動画に、J-popに関するこんな動画がありました:

 www.youtube.com

 

動画の中で、J-popを演奏し、また、J-popにおけるジャズの影響やJ-popならではの特徴を語っているパトリックさんは、日本の音楽の特徴をつかみましたね。 

 

ところで、もう10年以上前になると思いますが、NHKスペシャルだったかな?で、坂本九さんの大ヒット曲「上を向いて歩こう」(作曲: 中村八大、作詞: 永六輔) に関する番組がありました。 その中で、アメリカ人のギタリストが、この曲のBメロについて:

「ファ ファ ファ ソ ラ~  ファ ラ  ソ ~ ソ ミ ソ~~~」のあとに、

「ファ ファ ファ ソ ♭ラ~ ファ ♭ラ...」となるところが、思いもよらない展開でスゴイ!

みたいなことを言っていたのを、覚えています。

 

そうなんですね、このBメロ、

「ファ ファ ファ ソ ラ~  ファ ラ  ソ ~ ソ ミ ソ~~~」ときて、そのあと、もし、「ファ ファ ファ ソ ♮ラ~  ファ ♮ラ  ソ ~ ミ ド レ~~~」

って歌ったら、アメリカ、というか、スコットランドの歌っぽく聞こえますよね(移動ドで書いています。原曲のキーはGメイジャーです)。

 

♭ラを使ったところが、非常に日本的だなぁ、と感じます。「♭6」 は、平調子や雲井調子など日本の音階によく使われているからなのか、「上を向いて歩こう」のBメロの部分を私たち日本人が聞いても、違和感がないけど、日本人じゃない人が聞くと、国によっては、意外な展開に聞こえるのかもしれませんね。 逆に、日本人は、もし上記のくだりが♮ラ だったとしたら、「ヒネリがなくてつまらない」と感じるかもしれません。

 

「♭6」には、日本に特有の、「もののあはれ」があるのかもしれません。 また「♭6」以外にも、メロディーラインのそこここに、「もののあはれ」がいろいろな形で、歌謡曲やJ-popに表れているのでしょう。 「もののあはれ」のフィーリングは、ゲーム音楽やJ-popやアニソンを通じて、日本以外の人にも感じられているんだなぁ、と、思いました。 

 

もののあはれ」は、日本人が縄文時代から、負け戦を続けてきたから、うまれた精神性なのかもしれません。 日本は、今も昔も、常時、戦時状態にあります。 それは、アメリカなんかよりももっともっと恐ろしい、自然という、人間が決して勝つことができない相手に、毎年のように踏みつけられる、という、負け戦です。 自然災害が起きれば、テレビ局はすぐさま非常事態の放送に切り替わり、自治体からは、空襲警報よろしく避難警報が発令され、人々は食料を買い込み、危険な場所に住む人たちは避難し、それでも、必ず、自然の驚異にやられてしまいます。 ようやく復興してきた、その矢先に、また、別の種類の自然災害が起きて、容赦なく、やられてしまいます。 こんどはこっち、こんどはあっち、と、日本全国、どこでも、自然の気まぐれで、毎年、やられっぱなしです。 今回は大丈夫だった所も、次はどうなるか、全くわかりません。

 

こんな、「踏んだり蹴ったり」な国土に生きていたら、せめて、涙がこぼれないように、上を向いて、少なくとも、無理やりでも笑顔になって、やっていくしかないじゃありませんか!

 

そんな気持ちが、日本の歌に、J-popに、メロディーとなって、発散されているんだと思います。 穏やかで人なつっこい笑顔の下に隠れている、日本人の魂の叫びなんです。 だからこそ、それが、日本の歌の強烈な個性となって、日本人以外の人を引きつけているのです。

 

日本人の魂の叫びが、控えめながらはっきりと現れているのが、「♭6」ではないかと、私は勘ぐっています。 

というのは、西洋の古いマイナー音階は、ドリアン主流だったのではないかと思うからです。 だから、西洋のマイナーは「♮6」な、明るめのマイナー。 メロディックマイナーも、上りは「♮6」。 その証拠に、バッハのコラール集では、マイナーキーのキーシグナチャーが、ドリアンベースになっているものが多い。 

これに対して、日本古来のマイナーは「♭6」なので、エオリアンやフリジアンや、中東っぽいハーモニックマイナーのほうが、耳に馴染んでいる気がします(ハーモニックマイナーについては、ええ、そうですよ、中央アジア西アジア小アジアのDNAが日本人に入っていないはずがないでしょう? じゃなきゃ、久保田早紀さんの超絶名曲「異邦人」があんなにヒットするわけないんだから! ←ちなみに、当時、久保田早紀さんやクリスタルキングを「一発屋」呼ばわりしていた人が多かったけど、あれほど強大な一発を放(はな)ったという、もうただそれだけで、十分すぎてお釣りがくるのではないでしょうか。どちらの曲も、日本の音楽史に刻まれる、20世紀の名曲中の名曲ですよ)。

 

ところで、以前の記事にも書きましたが、私が子どもだった1970年代、日本の歌謡曲やポップスや演歌や民謡を劣ったものと見下す、クラシック音楽崇拝者や洋楽盲信者たちがたくさんいました。 私は、子どもながらに、「どうして、自分の国の音楽をバカにするんだろう?」と、不思議でなりませんでした(アッコちゃんや、細野さん(& YMO)や、日本市場で売れる歌を一生懸命作っていたプロ中のプロの人たちは、別です!)。 かつてのクラシック音楽崇拝者や洋楽盲信者のみなさん、21世紀になって、世界の若者たちが、日本の音楽をこぞって聴いて演奏する世の中になりましたが、いまさら宗旨替えは、カッコ悪いですよ(山下達郎竹内まりやなどの「シティ・ポップ」にも火がつきましたよ)。

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明治維新以降、西洋の「優れた」音楽を必死に勉強して、義務教育で強制的に教え込んで、西洋さんに認めてもらいたくてもらいたくて、讃美歌も歌ったことないのにバッハのコラールに代表される西洋和声と対位法を一生懸命勉強して、悲壮な思いでマネにマネして作った、高尚な音楽。 ところが、西洋をはじめ世界が飛びついた日本の音楽は、YMOゲーム音楽とアニソンとJ-popでした(じきに演歌もクるよ)! 

もちろん、これら日本固有の音楽は、日本の伝統音楽と西洋音楽の化学反応ですが、日本の下々(しもじも)の人々、つまり日本の一般大衆向けに作られた音楽が、日本が最も誇るべき日本の代表的な音楽になりました。

数ある「スーパーマリオブラザーズ」(作曲: 近藤浩治氏) のオーケストラ演奏のひとつ(アメリカっぽい楽器編成&アレンジ&演出):

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ちなみに、以前、小学生の頃に学校で流行った「レインボーマン」の替え歌について書きましたが、小泉文夫先生が、子どもの遊び歌に関する立派な論文を多数書かれていたんですね。 何も知らなかった、文化のない自分にビックリ、というか庶民の身ですから文化もヘッタクレもなくて当然ですが、直観ながら私も同じことを感じていたので嬉しい!

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